昭和27年 常盤町山神祭

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 昭和27年、5月に山神祭が行なわれていた頃の写真。

 巨大な『龍』を先導するのは、法被や着物をまとった子どもたち。

 子どもたちの列の中に、鉢巻きをした大きなタコが、『蛸八(たこはち)』と書かれた扇子をもっているのが見える。

 その『蛸八』に付き従うのは、男の子たち。頭の上には、蛸のかぶりもの。

 女の子の頭には、いろんな色で塗り込まれただろう魚たちが、およいでいる。

 着色した写真からもうかがえるが、彩り豊かに、お祭りの町は色彩にあふれていたに違いない。

 

 龍が引く、竜宮城を模した山車をかつぐのは、町内のお父さん達の役割だ。

 たくましい体にまとった法被に目をやると、「井出」と書かれた法被や、「産業報国」という文字の入ったものも見える。

 戦争が終わって、10年も経ていない昭和27年という、時代背景も感じられる。

 

 

白黒写真に着色した画像
竜宮をテーマに海の子に扮した子どもたちがにぎやかに祭りを盛り上げる

昭和27年5月12日の山神祭  【森健二】(2012.1.12)

 実家にあった昭和27年の山神祭を撮ったものです。

 

 写真の裏に父の字で、「昭和27年5月12日 山神祭祭礼 常盤町山車」と記されています。

 

 着飾った少女たちの中に、当時8歳の姉の姿があります。

 撮影した場所はよくわかりませんが、常盤町内なのだろうと推測します。

 

 後方の高台は千年町でしょうか。

 拡大して見ると、山車の上部に「龍宮城」と表されています。

 山神祭と龍宮(海神)の組み合わせには奇異な感じも受けますが、神話の中では何か縁があるのでしょうか。


2件のコメント

  • 昭和27年5月ですと、小生は8歳で小3年になった頃の写真ですね!私も山神祭に参加していたのか記憶は
    定かでないですが、同級生の男の子が写っていますね。

    写真上部の中央~右側の2軒続きの炭住の右側(青枠内)は小生家族の居宅でした。

    撮影した山車が置かれている場所は、常盤町の岩野商店から暁橋に向かって緩やかな下り道を下りて来て、
    暁橋の取付道の起点となる(当時、起点には掲示板が設置されていた)4方向交差点を暁橋に対し右へ曲が
    り鹿島橋の方へと向かったすぐの位置ですね。

    詳細は添付の「山神祭山車置き位置説明図」を参照下さい。

    添付は”PDF”を貼り付けているので、コメント最下段の掲題「山神祭山車置き位置説明図」をクリック
    すると説明画像が見られます。

    山神祭山車置き位置説明図

    • 岩田さん、こんばんは。
      森さんの実家のアルバムから出てきたという、この写真に写るこの場所が、自分たちも16年後鹿島中学校に通うことになった場所とは考えもせず、これまで、なんとなく常盤町のどこかなあと見ていただけでした。

      そういえば、右手の崖上に、千年町の住宅が見えているなあとか、こんなに大きな掲示板もあるなあと、はっきり見えてきます。

      平成9年頃、大夕張を訪ねて思い出の場所を巡った時、鹿島橋の周辺、そして暁橋の周辺と鹿島中学校に行く前に立ちどまって、カメラを向けていた場所です。

      こうして場所がわかると、この一枚の古い写真が、自分とのかかわりや、暁橋の側の水没した岩田さんが住んでいた家という関係などから、俄然、生き生きと見えてくるから不思議です。
      _
      後ろに写った家の窓からお父様が顔をのぞかせているというのも、偶然にしてはすごい貴重な話です。びっくりしました。
      _
      これはAIで着色してくれるサイトで着色した写真ですが、細部にこだわってもっと着色してみたくなりました。
      .
      『山神祭山車置き位置説明図』は、わかりやすくて、まるで写真の見え方が変わります。
      ありがとうございます。活用させてください。

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