シューパロ湖 ボート遊び
昭和37年 シューパロ湖、ダム建設により湖が誕生してすぐの頃。
向こうの湖岸を、鉄道と開通したばかりの清水沢ー大夕張間の道路が走る。
このダム湖ができてすぐの頃、誰ともなく言われていたはなしを覚えている。
この湖は、川をせき止めてつくられた。湖底には森林の木々が沈んでいる。よって、湖に落ちて溺れて亡くなったとしても、木々の枝に引っかかって、亡骸さえ、けっして浮かんでくることはない。
というようなものだった。
この話は、落ちたら最後、絶対に上がってこないという話が、妙におっかなく、ずっと、心にひっかかっていた。
小学生の頃、父に連れられて、職場の慰労会に参加したことがあった。その時、ある看護婦さんと、3人でボートにのった。
晴れた良い日だったので、人出のにぎわいもあった。
その時、手漕ぎボートに乗るのは初めてだったので、乗る前に、父から「けっして立ち上がらないように」といわれていた。「どうして?」と聞くと、バランスが崩れてボートがひっくりかえるからだ、と教えてもらった。
オールを握ったのは父で、真ん中に自分、看護婦さんと向かい合って座った。すこし風もあったが、ゆらゆら揺れる程度で、それほどでもなかった。
動き出したボートが進むにつれて、湖の底ばかりが気になったいた。
見ると波間の陰に木の影のようなものが、ゆらゆらと見えるような気がした。しまいに、ひょっとしたら、誰かがそこにひっかかっているような妄想が頭に浮かんできて、とても落ち着かなかった。
その時、軽快にモーターボートが走ってきた。「近い」と思った瞬間、派手に水しぶきを、頭から浴びせて、あっという間に去っていった。
頭から浴びた水はたいして気にならなかったが、怖かったのは、その後だ。
水を浴びた看護婦さんが、「キャッ。いやだあ」といって、いきなり立ち上がり、ブラウスや、スカートをハンカチ-フでパタパタとふきだしたのだ。
「あ、ダメ、立っちゃダメ・・」
いきなり深海の底に投げ込まれ、湖底の木々に身を包まれる恐怖がおそってきて、言葉を失い、大きく揺れるボートの縁を必死に握りしめていた。
今思うと、看護婦さんが立ち上がった反動と、モーターボートが近くを通ったことによってできた波で揺れが増幅されたのだと思うが、「ボートで立つ→ひっくり返る」の呪縛がしばらく頭から離れないものとなってしまった。