春日グラウンド

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 昭和40年頃。

 春日町から春日橋を渡ると、春日グラウンド。誰が名付けたのか、ひとよんで「便所場(べんじょば)球場」

 奥にバックネットが見える。崖の向こうの街は千年町方面。土を盛って造成された様子がよく分かる写真

だ。昭和30年代、自衛隊によって造成されたという。

 この土地は、一時、鹿島高校(夕張東高校)の建設候補地になっていたという話を聞いたことがある。

 

 

白黒写真に着色した画像

 


春日町のグラウンド  【泊川俊徳】( 2006年08月24日)

 もしかして 便所場球場の事でしょうかね。

 
 子供の頃、まだ、し尿処理場が、無い時代。馬車に木製の大きな箱、トイレの汲み取りを、川渕の上から流していた時代が有りました。

 
 夏、川岸がウンチの層に成ってました。

 
 ですから、大夕張は衛生状態が悪く伝染病が流行しました。

  し尿処理場が出来て、ウンチ捨て場がグランドに成り、便所場球場と呼ばれるようになりました。

 昔、大夕張

 伝染病で、他の街の旅館に泊まる時、大夕張の地名がだせない時代が有りました。

 大夕張から来た客は断られ、伝染病が移ると厄介だからと、不名誉な時代もありましたよね。


 

かっこいい野球チーム【飯田雅人】(1998年06月13日)

 
 春日町からつり橋がかかっていて、シュ―パロ川向こうのグラウンドにいけるようになっていました。この写真は弥生町の高台になっているあたりからみたものでしょうか?

 
 礦業所で働く人達の職場のチームがあって、しばしば、ここで,ユニフォームを着たお兄さん達が野球をやっている姿を千年町へ行く途中の宝町の崖の上あたりだったでしょうか、見た記憶があります。西日を浴びてグラウンドの選手達が光って見えていました。

 かっこいいユニフォーム姿にあこがれたものです。


春日グラウンドの写真 乗田功一】(1998年6月12日)

●kasugag1

 宝町側のガケぎりぎりの所から135mm望遠で、生い茂る木々の隙間から撮影した春日グラウンドの「バックネット」です。

 

●kasugag2

 

 春日町の川辺(代々木アパートの先から右に入る道の、突き当たり地点)から見た、グラウンドへ渡るつり橋の橋脚です。

 

 私も子供の頃は空き地で野球をしたりしていましたが、この「春日町グラウンド」は、子供が気軽に遊べるような雰囲気のところではなく、「大人のための施設」という感じがしたものです。

 

 実際、球場としての設備も本格的で、スコアボードなども立派なものがありました。

 

 現在、このグラウンドへ行くための唯一の手段である、吊り橋が無くなっていますので、ここへは立ち入れないのですが、吊り橋があった辺りは浅瀬で「4WD車がよく川を渡って向こう側へ行っているようだ」と、近くで釣りをしている人が言っていました。

 


1件のコメント

  • 確かに 便所場球場 昭和37年ごろ まだ狭かったんですよ。昭和38年ごろ横山理髪店の近くに 古い寮がありまして 自衛隊の方が 寮に泊まりながら 重機や 発破など使って 大がかりな 工事して広げてました。かなりの人数居ました。 発破かける時見た事あります 岩が川まで飛んできてたの見ましたよ。

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