便所場球場 |岡本雅志

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 昭和43年8月9日。

 私の誕生日に大夕張駅前のメインストリートを出て東京へ引っ越しました。

 
 私は小学校6年の夏休みまでしか大夕張にはいませんでしたが、私の兄、姉は皆、鹿島小学校→鹿島中学校を卒業しています。

 当ホームページに寄稿されている小林光志氏の紹介で、大夕張のホームページの存在を知りました。

 
 今、最大の関心事は昔朝から晩まで昼食も取らずに一緒に遊んだ皆はどうしているかということです。このホームページを見てくれた旧友がいれば返事を寄稿してください。

 
 私が住んでいたのは代々木アパートの一号館4Fです。よく三番方の親父さんたちに、眠りをじゃまされたとのことで大いにしかられました。

 今考えてみると親父さんたちは、命がけの仕事のために大切な睡眠をとっていたのですね。

 ちなみに私の生年月日は、昭和31年8月9日。

 小学校1、2年は奥井先生、3年はお寺の浜出先生、4,5,6年は小山清先生でした。皆よく教育して下さいましてありがとうございました(殴られた記憶しか残っていませんが、特に浜出先生の怒った顔は怖かった)。

 もう一度、官行(かんこう)へ行って、ジンギスカン鍋を食べたいと思います。

 私はとにかく野球ばかりやっていましたので覚えいる人もいるかと思います。 

  

 便所場球場でよく野球の試合を行いました。

 
  「便所場(べんじょば)」・・・春日町側の吊り橋の先、弥生町の崖下の近辺に「大久保組」がありました。

  その昔、回収後の処理を夕張川を使って行っていたようです。

  ここまでお話をすればピンとくるでしょう。

 

 私は、代々木町に住んでいたので、春日町の人々と試合をするとき、この球場を使わせてもらいました。

 たしか「大久保組」の近辺に湧き水があり、弥生町へ続く崖道を気合を入れて登った記憶があります。

 

 便所場球場の東の山側の斜面を登って行くと、「三角山」につながっていたと記憶しています。

 何れにしても懐かしい思い出がいっぱいです。

  

(1998年2月8日、10月30日 記)


  

随想

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