月: 2021年8月

宝町『キャンドル』 思い出の街角

宝町『キャンドル』

 先日の石野さんの貴重な8ミリ映像の一コマより。  昭和46年(1971年)夕張東高の仮想行列のワンカットだ。  宝町から千年町に抜けるコース、ここは、千年町児童公園の前を通り、劇場前に出て行く道であり、私にとっては、鹿島中学校への通学路であり毎日のように歩いた道だった。  最初映像を見たとき、すぐ…
東小向こう岸のアンモナイト化石 |  小林光志 思い出ばなし

東小向こう岸のアンモナイト化石 | 小林光志

 昭和35年ころ(私が中学1年)、毎日、春日町から鹿島中学校まで登校していましたが、時々悪がき仲間と通学路を離れて登校しました。  春は、うど、夏はスイカ、秋は大根人参などずいぶんご馳走になりました。    シューパロ川に沿って、行くこともありました。特に便所場球場から下流は、川沿いに道のないところ…
栄町から富士見町 思い出の街角

栄町から富士見町

 購買会栄町支所からプールまでの間には、空き地があった。  栄町の購買会横には踏切もあり、この空き地では、小学校低学年の頃(1960年代前半)よく遊んだ。  一人遊びの記憶。一人で遊ぶとろくでもないことを思いつく。見ての通り線路への柵もなく、土手をちょっと上がると線路だ。  踏切もあったが、人が通る…
昭和47年 宝町3丁目の炭砿住宅と妻|Kawauchi Masami 思い出の記

昭和47年 宝町3丁目の炭砿住宅と妻|Kawauchi Masami

白黒写真に着色した画像   宝町3丁目の炭砿住宅。妻と姉。  向かって左で犬を抱いているのが妻で、赤ん坊を抱っこしているのが、妻の姉、そして近所のおじさんです。  妻は、北菱閉山で大夕張に来て、大夕張閉山で登川にいきました。昭和47年(1972年)ぐらいに大夕張に来て、75年には登川に行っています。…
三菱大夕張炭礦株式会社『社歌』B面 映像

三菱大夕張炭礦株式会社『社歌』B面

 前回、会社から各家庭に配布されたと書いた。  しかし、もとになったEP盤は、我が家にあったものではない。大夕張から札幌に出るときに処分されたのだと思う。  20年くらい前、『大夕張小唄』のSP盤や『社歌』を、ヤフオクで購入した。しかし、残念ながらプレーヤーを所有していないため聞くこともできず死蔵し…
pH ( ペーハー ) | 高橋正朝 #55 続・大夕張つれづれ

pH ( ペーハー ) | 高橋正朝 #55

     鹿島中学校2年生の理科の授業で、水の電気分解が実施された。  窓の外の木々は、まだ緑の葉をつけていたので、2学期になって間もないころだったと思う。  理科の担当は、デンスケと生徒たちが勝手にアダ名した、大宮六郎 先生だった。  私たち K 組の担任でもあった。…
三菱大夕張炭礦株式会社『社歌』A面(昭和45年1月制定) 映像

三菱大夕張炭礦株式会社『社歌』A面(昭和45年1月制定)

 EP盤のレコードから、音声をデータ化しました。    昭和45年、会社から各家庭に配布されたと記憶しています。    新会社発足、南大夕張での新鉱開発、何かが変わりつつあるということが感じられた昭和45年でした。    その当時薬局に勤務していた父も、薬品管理にコンピュータ-が導入されるという話で…
1961年~1971年 大夕張映像 映像

1961年~1971年 大夕張映像

【YOUTUBE】UHB北海道文化放送 公式 道民映像アーカイブプロジェクト。     この8ミリフィルムは、炭鉱マンだった石野嘉明さんのお父さんが、撮影したもの。自宅の奥深くに眠っていたという。  ちなみにフィルムにも出てくるが、お母さんは、鹿島東小学校の教員だったので、ご存じの方も多いでしょう。…
昭和36年 暁 橋 思い出の街角

昭和36年 暁 橋

昭和36年6月30日竣工 暁橋(あかつきばし)   白黒写真に着色した画像   千年町と常盤町を結ぶ橋。完成した頃。【 みえこ】(平成21年4月3日)  この あかつき橋が完成した時は、子供ながらに本当に安心しました。    以前の橋は、幅も狭く揺れも大きく、足元の隙間から川の流れが見え、側面は何も…
猫とブルドック|林 恭子 思い出ばなし

猫とブルドック|林 恭子

 岳富町の写真とても懐かしく拝見しました。   私は昭和37年に炭砿病院で生まれ、昭和45年まで大夕張に住んでいました。   千年町に住んでいたので、大夕張駅に卵を買いに行く時、必ず岳富町の道路を通ってました。  あの頃、駅の待合室に卵売りのおじさんがいました。     岳富町の時計屋さんのショーウ…
大夕張駅 思い出の街角

大夕張駅

 昭和40年頃。大夕張駅 駅舎。  特に、昭和30年代、昭和37年に南部間との道路が開通するまでは、大夕張を出るには鉄道しかなかったころ、生活の中心には、この駅があった。  学生服姿の中高校生が、日差しの中に佇んでいる。  警察署の影が大夕張駅の庭に伸びる。  道路沿いには、水道栓がある。が、ここで…
故郷大夕張 |西村武博 随想

故郷大夕張 |西村武博

 1998年の夏  私は、道内なのでこの夏に暇がある時に何度か大夕張へ足を運びました。行く度に感じたことは、懐かしいという感情と、寂しいという感情の入り交じったものです。   大袈裟に言うと、ここでの生活は何だったのだろうかと考えてしまいます。  冬は極度に寒くどっさり降る雪。  家の裏側は、除雪を…
大夕張郵便局 思い出の街角

大夕張郵便局

昭和43年 大夕張郵便局。駅前の通りはまだ未舗装。 昭和43年7月から郵便番号制度が導入された。 当時は3桁ないしは5桁のだったが、夕張市鹿島は、「068-06」だった。   郵便局の看板にも、郵便番号の記入を呼びかけているものが見られる。   白黒写真に着色した画像   郵便局の思い出 【小笠原 …
サッカーボールの思い出|成松泰彦 思い出ばなし

サッカーボールの思い出|成松泰彦

 中学3年の修学旅行が終わってすぐに転校する事を知っていたが、友人には知らせていなかった。  6月の事だった。  そんな当の本人も、転校の事を知らされたのは、わずか2週間ほど前の事で、心の準備がいた。    何か自分の思い出を残していきたかった。     休み時間になると中庭で、男子も女子も輪になっ…