宝町『キャンドル』

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 先日の石野さんの貴重な8ミリ映像の一コマより。

 昭和46年(1971年)夕張東高の仮想行列のワンカットだ。

 宝町から千年町に抜けるコース、ここは、千年町児童公園の前を通り、劇場前に出て行く道であり、私にとっては、鹿島中学校への通学路であり毎日のように歩いた道だった。

 最初映像を見たとき、すぐに思い出せなかった。宝町の生協あたり?とも思った。

 

 それほど、1971年当時の生の映像でさえ、すでに自分の遠い記憶と乖離が始まっている。

 

 Kawauchiさんから、赤い壁の建物が、かつての『とらやのパン工場』、撮影時は、『キャンドル』になっていたはずだと教えてもらった。(そういえば、「アサヒビール」と赤い字で読める看板がかかっている)

 

 『キャンドル』といえば、Kawauchiさんが『思い出の記』の中で書いている。『大夕張のバンドブーム』に出てきたダンスホール、高校生の溜まり場だ。

 その中で、補導員が来たら『佐藤さん』の3回コールで、高校生たちが2階に逃げる話がでていたが、結局つかまってしまった話を教えてもらった。

 

 補導員が来たときは2階に逃げましたが、二階に上がる時は、必ず靴を持って上がりました。でも補導員が来るときは、会場が混んでる時に来るのです。

 すると慣れてない人は、あわてて靴を下に置いたまま2階に上がってしまい、バレてしまいました。

 その時は、おそらく20人はいたと思います。

 で、補導員が2階に上がってくる前に、出て行かなくてはならないことになり、仲間は、『次、退学』とか、『次、停学』とか、そんなのばかりで、結局、支障無い人から順に、降りていくことになりました。

 

 これで本当に退学になってしまった人がいたら、申し訳ないが、階段をおりていく高校生たちの神妙な顔を想像すると、クスクスと笑いがこみ上げてくる。

   

 本題に戻るが、ダンスホール『キャンドル』の話から、写真右の木造2階建の建物を見て思い出した。

 鹿島中学校から帰宅途中、千年町児童公園で一休みしていると、夕方頃、しょっちゅう、2階の木造住宅のあたりから、ドラムをたたく音が聞こえてきていたのだ。

 当時の大夕張で、ドラムの音を聞くことは非常に珍しく、このあたりでは2階建ての建物もそう多くはなかった。

  『大夕張のバンドブーム』を読んで、そこの息子さんがバンドを組んでいたということを知った。

  そして、この「キャンドル」の写真から、なるほど、そういうことだったのかと、今から50年前の、当時珍しく印象的だった、夕暮れ時のドラムの記憶に、裏付けが与えられ合点がいったのだった。

 

 ちなみに昭和33年の白地図を見ていて気がついたのだが、このあたりは昭和30年代は、小児マヒが発生したことで知られている鹿島荘などの寮などが立ち並んでいた場所だったようだ。

 

   

赤い壁の建物が、かつての『とらやのパン工場』、撮影時は、ダンスホール『キャンドル』 になっていた。

参考までに、本通りからこの道を宝町にはいっていく1992年の映像が、こちらからみることができる。

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