吉田初三郎 夕張鳥瞰図(1950年)
大正から昭和にかけて鳥瞰図3000点以上を描いたという吉田初三郎は、夕張の鳥瞰図も描いている。
吉田初三郎が描いた夕張の鳥瞰図は、1950年版と、1962年版の二種類あるという。
かつては夕張市石炭の歴史村『炭砿生活館』の展示でも50年版と、62年版の両方が、展示されていたことがあったらしい。
夕張市には1950年版と1962年版の作品が保管されているという。
1950年版には、シューパロ川に沿って清水沢ダムは描かれているが、大夕張ダム(二股ダム)はない。
1962年版には、大夕張ダムが描かれているというが、現物は残念ながらみたことがない。
北海道立文書館では、1950年版があり、インターネットでも見ることができる。
デジタル化されており、両端の一部はカットされていたが、ほぼ夕張市内全域を拡大しながら詳細に見ることができた。
こちらに掲載したのは、1950年版の夕張市発行のもの。20数年前に入手したものだ。
冷水山が中央に配され、その手前、本町地域から左、丁未、水源地まで描かれる。
大夕張は、冷水山の背後、夕張岳に挟まれた山峡にある。そして、右手は鉄路がのび札幌・小樽、函館、東京まで描かれている。
こうしてみると、山の奥に向かってに描かれている本町方面より、むしろ大夕張方面が平野の入り口に近く、開かれているように見えてきて面白い。
大夕張は、デフォルメされてはいるものの、夕張岳に抱かれた、シューパロ川に沿った麓の町の様子がきれいな色彩とともに描かれている。
この吉田初三郎の鳥瞰図は、昭和25年(1950年)に夕張市から発行された。
次のようなケースに入っている。
購入者が、表紙に保護のため、セロファン紙を貼り付けているので、見にくいが、左の表紙にあたる部分には、『夕張市 夕張市役所』と見える。
表紙には、夕張岳、裏にあたる部分には、冷水山が描かれている。手前には煙突が高く伸びる工場群。
中を開くと、上の鳥瞰図が、蛇腹状に、八つ折りにされ、たたみこまれている。折り目はまだしっかりしているが、経年変化もあり、なにせ70年も前のものなので、スキャナーで撮ったきりほとんど開いたことはない。
上のケースの表紙裏の見開きページにも夕張市を紹介する記事が載っている。
そして、鳥瞰図の裏にも、当時の夕張を紹介する記事がびっしりと細かい文字で書き込まれている。
いずれも昭和25年当時の夕張市の紹介したもので、当時が偲ばれる。
それらは、ページをあらためて紹介していきたいと思う。
最後に、吉田初三郎氏の『絵に添えてひとふで』という言葉が添えられている。それを紹介して終りにする。
繪に添へてひとふで
私は かつて 日本が経営していた満鉄の依嘱で、全満州の景勝を踏査写生、その老成せる大陸の風光に親しみ、今なお追憶の情 禁じがたきを 覚ゆるのであるが。
このたび 本図、夕張市鳥瞰図を執筆にあたり、はるかに世界的の大炭鉱、撫順を想起し、その規模の雄大にして、文化の敷設完備せし壮観が、ありありと まぶたに浮かび しかもそれが、今や、むなしき一朝の夢と消え、痛惜さらに新たなるのとき、ここにこの日本の第一の名鉱、夕張を筆にすること、まことに限りない初三郎の光栄である。
見渡せば、夕張川の支流、シホロカベ川右岸から、アノロ川の上流にかけて、延々連互露出せる、見事な露頭炭層の雄大さよ。
その長さまさに 75キロに及び、しかも粘結性歴青炭に属し、火力強烈、質またすこぶる堅緻にして、瓦斯製造には、本邦無比、最優秀の良炭とよばれ、今や日本再建の巻頭に颯爽として輝く、工産業の一大資源。基地の観あり。
何ぞ それ 死児に等しき撫順を憂へむや。
夕張の名こそ うれしき、日の本の
炭都の姿 とうとくもかな
昭和二十五年 みな月
種差海岸 潮観荘書室にて
吉田 初三郎