南部・鹿島、そして浄水場 |飯田雅人

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取壊し間近の浄水場(1999年)

 今日、シューパロ塾主催の『南部・鹿島地区のフィールドワーク』に参加してきました。

 
 参加者には、多くの故郷の歴史を伝える貴重な資料が配布され、それだけでも私にとっては参加した価値が十分あるものでした。

 

 午前10時から午後1時頃まで、午前中は,遠幌から南大夕張への線路跡を、沿線の歴史や遺構を探索しながら、歩きました。途中路上で青サギと遭遇というハプニングもありながら、正木先生のていねいなお話に耳を傾け、ゆっくりのんびり歩きました。

 
 昼は、南部の客車前で、各自お弁当を取り、その後、大夕張の客車達の生い立ちについて三菱大夕張鉄道のOBの方のお話を伺いました。

 午後は、マイクロバスに乗りこみ、鹿島に出発しました。

 

 この頃から、あいにく強い雨が降りだし、車内で三弦橋・森林鉄道やシューパロ湖が出来た当時のお話を聞きながら、バスは鹿島へ。

 
 途中、ショックだったのは、正木先生が「営林署の建物が会った場所です」、と指し示した方を見ると、すぐわかるはずと思っていたはずの営林署の建物の位置が、建築物もない一面の緑の草原の中で、通過するバスの窓から見ただけではわからなくなってしまっていたこと

 ・・・今の大夕張には、ほとんどの手がかりが失われようとしている、それを実感した一瞬でした。

 

 大夕張炭砿の坑口、旧メタノール工場と、めぐり、そして今週中にも取り壊されるという神社山の浄水場に。

 

 浄水場の中は、人口2万の水道を支えたと考えると、あまりに小さく感じました。

 昭和27年に建設されたという木造の施設は、これまでの40数年があまりにも長く、役割を終えた今は、すっかりくたびれていました。

 でもどこか懐かしく、そこには、人間くさい手回しの丸いハンドルが、いくついくつも並んでいました。

 

 遠幌から南大夕張へ。参加しなければこの間を歩くことなどなかったろうと思います。おかげで、故郷の空気を身近に感じ、これまでになくじっくり浸らせることができたような気がします。


 また,前回の参加でも感じたことですが、正木先生を始め、地元の方々、その他参加された方々の温かい雰囲気の中で、なんとも心地よい一日を過ごさせてもらいました。

 

(1999年8月1日 記)

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