営林署のアルバイト | 大阪の小林

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昭和50年頃 三菱南大夕張鉱業所とともに、南部貯木場が大きく広がる

 

 小生は、昭和40年7月中旬から、8月中旬までの1ヶ月間、南部にありました大夕張営林署の南部貯木場で、大学の友人2人と共にアルバイトをしました。

 当時の貯木場の写真や、写真をお送りした経緯はこちらのホームページにもアップロードして頂いておりますので、詳しくはそちらをご覧頂くとして、当時の思い出話を少し。

 

 我々学生の主な仕事は、貯木場の材木の体積(材積)の測定補助と、計算業務でしたが、森林鉄道で山の中に入り、殺虫剤の散布作業などもありました。

 貯木場には小さな機関車と、客車や屋根のない貨車などが、置いてありました。

 エンジンの付いたジープの様な形をした、自走式トロッコもあり、我々3人の学生が山に行ったのもこのトロッコに乗せられてでした。

 
 山に入ったときの印象は、青い空、白樺林、泥や馬糞に群がる何百匹もの紋白蝶。

 樹木のにおい、静寂、すごいスピードでカーブを曲がるときの恐怖、鉄橋を渡るときの足下のシューパロ湖など、これらが今も強烈に残っています。

 

 山の中で、殺虫剤散布を営林署の職員がされるのを手伝った後、森林鉄道の線路に沿って、連絡用の電話線を張るのを手伝わされました。

 ちょうどカーブの向こう側に、署員がおられたため姿は見えません。

 電話線を電話機につなぎ、もういいだろうと、ハンドルを回すのですが、応答がありません。

 何度も試みているうちに、向こうから署員が走って来られ

 「いい加減にしろ、線をつなごうとしたら、お前達がハンドルを回すから、ビリビリ感電してつなげないじゃないか!」

 と怒鳴られました。

 
 電話線をつなごうとして、その度に飛び上がっている姿を想像して、思わず笑ってしまったため、余計に叱られましたが、今思い出しても吹き出してしまいます。

 
 ちなみに、当時の移動式の電話は、ハンドルを回すと発電され、ベルが鳴る仕組になっていました。

 今なら携帯電話や、トランシーバーがありますが。

 
 ほかにも面白い思い出がありますが、今日はこのあたりで。

 

(2002年2月11日 記)

『大阪の小林さん』による 貯木場でのアルバイトの思い出は、次のページから

平成15年、『大阪の小林』さんが、38年ぶりに貯木場跡を訪ねた時の訪問記は、こちらから

南部貯木場については、こちらから


思い出ばなし

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