ポンプ その2 | 高橋正朝 #48
私が鹿島中学校の2年生か3年生のときである。
学校から帰った夕方の4時ごろで、家には私1人だけで、妹弟は遊びに出ていていなかった。
テレビを見ようと思い、スイッチを入れた。
明石町番外地は、テレビ放送の受信状況が悪く、そのときは特に HBC と STV の画面の映りがよくなかったので、チャンネルをガチャガチャとまわし、先に NHk 総合テレビ を数分間見ていた。
出演者は知らない人物の鼎談であった。
面白そうでなかったので、さらに面白くはないだろうと想像したのだが、念のため、教育テレビにチャンネルを回した。
画面は、トリチェリーの真空の説明だった。
講師は、メガネをかけた40歳ぐらいの痩躯の男性だった。 もう1人、少し年下の男性が補助していた。 生徒は5人だったか6人だったか覚えていないが、いずれも中学生だ。 女子生徒が混じっていたかどうかは記憶がさだかでない。
番組が始まってから、せいぜい10分ぐらいの経過だろう。 講師の話術が面白そうだったので、番組をそのまま見続けた。
テレビの画面は、講師が教室で説明をしており、トリチェリーは、この実験をするのに水銀を使用したが、水を使用したらどうなるかと、生徒に問うていた。
講師の説明は続き、水銀の比重は、13.6g/cm³ 、水銀柱は76cm だから、水の比重を 1g/cm³ とすると、と黒板に数字を書きながら説明をつづけ、1033cm という数字をはじき出した。
我々の年代では、中学1年生になってすぐに教わる内容だ。
水柱で実験をした場合、本当にそうなるかどうか、試そうと講師は話しを続ける。
12m のガラス管を用意するのはできないから、透明プラスチック管を、運搬のために 2m に切ったものを 6本と、接続部品を準備した。
どこで実験するのかなと、思っていたら、テレビの画面がかわり、実験場所は、吊橋のある小川だった。 テレビでは、その小川の名称だったか地名だったかをナレーションしていたが、まったく覚えていない。 東京都下だったような気がするが ••••••。
小川のそばで、持参した透明プラスチック管をつなぎ、その管を小川に浸した。 気泡が入らないように慎重にコトを進め、透明プラスチック管を水で充填し、上下を密閉した。
管の上部を細いロープで結び、吊橋に待機していた少年たちが、ロープを引いて管を立ち上げた。
小川に浸した管の密閉した端を開くと、充填した水柱の水位は下がり、思惑通りに実験は成功した。
途中からだったが、NHK 教育テレビの番組を見たのは、これが最初だ。
水を使用してはいたが、トリチェリーの実験作業を見たのは、テレビ画面とはいえ、これが初めてであった。 視覚効果というのは、やはり印象深い。
しかし、トリチェリーの真空が、どうポンプの機構に結びつくのか、その時点でもさっぱりわからなかった。 このことがわかったのは、20代の半ばである。
この番組を視聴した者は、偶然か予定的だったかはともかく、大夕張で見た人たちもいるはずだ。 ちなみに、私は昭和23年生まれである。
(2021年7月10日 記)
昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。以後、仕事の関係で海外で長く生活。現在は、タイ、バンコクで暮らす。
『トリチェリの真空』・・・
今だと、中学校では、発展的に扱い、高校で、出てくる内容らしい。
自分は、正直なところ、テレビ番組どころか、『言葉』の意味するところも皆目見当がつかなった。
高橋さんと自分の、学齢差8。
自分の過ごした中学校か、高校のどこかでこの実験と出会ったのかもしれない・・・いや、たぶん出会っているのだろう。
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『出会いには旬がある』とよく言われる。
高橋さんにとって、このTV番組との出会いは、まさに、必然的な『旬の出会い』だったに違いない。
教育テレビといえば、小さい頃は、『おかあさんといっしょ』や『子どもドラマ』を好んでいた。
中学生になってからは、みた記憶がないし、チャンネルバチバチで手を止めるた記憶もない。
理科の番組も多く放送されていいたのだろうけれど、全然、『出会う』ことはなかった。
今回、『トリチェリーの真空』で検索し、あるユーチューブ番組を見た。
『理科オンチ』にもよくわかる、おもしろい番組だった。
高橋さんの文章を読むまえに、予備知識として、前もって視聴したことで、より楽しむことができた。
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