初音沢地区 |目黒則男

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 我々住民は初音沢と言っていましたが、鹿島地区の人々は官行と言っていたようです。

 
 チップ工場、ボタ山、その麓にあった炭鉱用資材を製造する工場、そのあたりを初音沢と呼んでいました。

 私の父が、炭鉱用の資材を製造する会社に勤務していた関係で、現地の社宅に住んでいました。

 通学には大変苦労した記憶があります。

 大雪の日には朝早くおきて、腰まで雪につかって歩いていった思い出が今でも忘れられません。

 
 山や川で遊んだ子供の頃のことが、今でもときどき走馬燈のように私の頭の中を駆けめぐっていきます。

 もう二度といけない場所とわっかているだけに、よけい走馬燈の光も強く感じます。

 (1998年2月23日 記)


随想

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