父の無念と別れ |森田伸一
2021-07-23
9167
私は昭和37年大夕張の栄町で生まれました。
その後、春日町に引越し、小学校3年生まで大夕張に住んでいました。
今は、山梨県に住んでいます。
閉山を前に炭坑夫の父は、右目に重傷を負い失明してしまい、炭坑夫の生命を絶たれてしまいました。
鹿島を断腸の思いで、離れることになったのです。
父の無念な表情は、今も忘れません。
汽車に乗って大夕張の駅を発つ時の寂しさ
見送りに来てくれた正木先生、
クラスのみんなの思いは、27年の月日がながれた今も、鮮明に覚えています。
7月25~28日に両親を連れて、沈む前の大夕張へ行ってきます。
(1998年7月18日 記)