大夕張の想い出 | 早坂治敏
2021-07-24
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自己紹介:昭和26年に生まれて、ずーっと弥生町に住んでました。
鹿島小学校に昭和33年度入学。昭和38年度卒業。
鹿島中学校に昭和39年度入学。父の転居で昭和39年10月17日に大夕張を離れる。
以上が、私が生まれて13年余過ごした大夕張時代です。
小学校時代の恩師の名前は今も記憶しています。
昭和33年度1年桜組:担任 相沢千賀子先生
昭和34年度2年桜組:担任 相沢千賀子先生
昭和35年度3年梅組:担任 太田美子先生
昭和36年度4年桜組:担任 丸山浩二先生
昭和37年度5年桜組:担任 伊藤義雄先生
昭和38年度6年桜組:担任 堀田 正 先生
以上のとおりですが、昭和33年度は、新校舎の建築のため、授業は、午前と午後のいわゆる2部授業でした。
私自身は、午後の授業のほうが、早起きしなくてすむことと、朝から遊べるので良かった想い出があります。
昨年来、皆さんの投稿記事を拝見させていただいてきましたが、懐かしい名称が出ており、子供の頃の記憶が鮮明に蘇えってきました。
夕張岳は高山植物で有名ですね。
私は小学校時代に2回登りました。
官行という名称も懐かしく、官行に住んでいた同級生でジャンプの得意な夏見君の名前も思い出しました。
大夕張を離れてから、1度だけ故郷大夕張に戻ったことがあります。
昭和49年に小学校時代の同級生だった小山修司君と一緒に大夕張を訪れました。
従いまして、爾来24年間、故郷に戻っていないことになります。
私の両親は現在も北海道に在住しており、大夕張がダムの底に沈むという情報(読売新聞の道内版の記事)を送ってくれました。
久しぶりに大夕張の想い出に浸ってみました。
(1998年3月5日 記)
電話いただき、ありがとうございます。上手く連絡が取れずにざんねんです。Facebookで私を検索してくれると、見つかると思いますので、何か反応を頂けると嬉しいです。
貴方同様、まだ元気に生活しています。
一昨年、実家の浜で夏のひと月半過ごしました。丁度,仕事の切れも良かったので、18歳で家を出てから長く居たのは初めてでした。海岸線は、港が大きくなり、テトラが入ってずいぶんと変わってましたよ。夏には良い故郷ですね。
懐かしい名前にあって嬉しくなった、大夕張を離れてから会った高校同級生です。私も北海道を離れて50年余り。近頃、幼少期を過ごした浜が懐かしく思い出されてならないのは、それなりの年を迎えたと言う事ですかね。私の家の近くには磯があり、その浜から貴方の家の近くの浜までずっと砂浜がつづいていました。インドからは帰国したでしょうか?
このコメント、届くと良いな〜。