地図に引かれた一本の線 昭和37年「石狩鹿島」
よく見て欲しい。この地図には、南部二股、大夕張ダムの位置に一本の線で書き込みがある。
昭和37年発行の地図だから、当然まだ大夕張ダム完成以前の地図である。
今から20年以上前、「ふるさと大夕張」で活用をと、ある方から手渡された地図だった。
この地図の持ち主であるJUNさんは、子どもだった昭和30年代、住んでいた大夕張から南部二股のダム建設工事現場まで、興味心から足を運んでいた。
その現場の巨大で壮大な様子に心をうたれたJUNさんは、きっと自分も将来こんな仕事について、社会に貢献したい、という思いに駆られた。
当時、大夕張に対する思いを、この地図をめぐって聞いた覚えがあった。
おそらく、JUNさんのそんな気持ちが、まだ完成途上であった『大夕張ダム』の位置に一本の線を引かせたのだろう。
そうして、上の文章を書いてから、そのJUNさんにメールで見てもらう機会があった。
この地図に関しては、大夕張から札幌へ転校し、中学生になった頃、故郷を懐かしんで、等高線に沿って鉛筆で色塗りしていたことはよく覚えている、しかし、ダムの位置を地図に書入れたことの記憶はもうありません、でも、書き入れる(た)ことには何の不思議もない、そのとおりだと思う、
ということだった。
その上で、学校を卒業してその後、自らダムに関わることになった人生をふりかえって、一文が添えられていた。
昭和35,6年頃、二股ダムの工事現場を見るのが好きで、何度か自転車で行った。
近くには寄れないので、遠くから眺めて満足していたね。
建設中のダムは巨大なブロックを積んだみたいに凸凹があって、
中世ヨーロッパのお城みたいで恰好良かった。
大きくなったらこの「会社」に入ろうと思っていて、そのとおりになった。
そして50年後、「会社」退職の前年、新ダムの定礎式に出席した。
感無量だった。
湛水試験中、新ダムの水中に沈んでいる旧ダムの姿を見た。
震えた。
(2021年7月)