地図に引かれた一本の線 昭和37年「石狩鹿島」

19117

  

 よく見て欲しい。この地図には、南部二股、大夕張ダムの位置に一本の線で書き込みがある。

 昭和37年発行の地図だから、当然まだ大夕張ダム完成以前の地図である。

 

 今から20年以上前、「ふるさと大夕張」で活用をと、ある方から手渡された地図だった。

 

  

 この地図の持ち主であるJUNさんは、子どもだった昭和30年代、住んでいた大夕張から南部二股のダム建設工事現場まで、興味心から足を運んでいた。

 

 その現場の巨大で壮大な様子に心をうたれたJUNさんは、きっと自分も将来こんな仕事について、社会に貢献したい、という思いに駆られた。

 

  

 当時、大夕張に対する思いを、この地図をめぐって聞いた覚えがあった。

 

 おそらく、JUNさんのそんな気持ちが、まだ完成途上であった『大夕張ダム』の位置に一本の線を引かせたのだろう。

  

 

 

「石狩鹿島」昭和37年発行 昭和33年測量(国土地理院)

 

 そうして、上の文章を書いてから、そのJUNさんにメールで見てもらう機会があった。

 

 この地図に関しては、大夕張から札幌へ転校し、中学生になった頃、故郷を懐かしんで、等高線に沿って鉛筆で色塗りしていたことはよく覚えている、しかし、ダムの位置を地図に書入れたことの記憶はもうありません、でも、書き入れる(た)ことには何の不思議もない、そのとおりだと思う、

 ということだった。

 

 その上で、学校を卒業してその後、自らダムに関わることになった人生をふりかえって、一文が添えられていた。

  

  


 

昭和35,6年頃、二股ダムの工事現場を見るのが好きで、何度か自転車で行った。

近くには寄れないので、遠くから眺めて満足していたね。

 

建設中のダムは巨大なブロックを積んだみたいに凸凹があって、

中世ヨーロッパのお城みたいで恰好良かった。

 

大きくなったらこの「会社」に入ろうと思っていて、そのとおりになった。

そして50年後、「会社」退職の前年、新ダムの定礎式に出席した。

 

感無量だった。

 

湛水試験中、新ダムの水中に沈んでいる旧ダムの姿を見た。

 

震えた。

 

 

(2021年7月)


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