昭和43年 千年町駅
千年町駅は郵便局や駐在所のあった商店街がならぶメインストリートからやや明石町よりのところにあった。
昭和25年11月1日、千年停留所として開業。
昭和35年3月21日千年町駅になり、昭和45年無人化された。
昭和48年三菱大夕張炭礦閉山のため、12月16日営業廃止となった。
当時,駅長はおかれず,大夕張駅で管理されていたそうだ。
この駅の正面に,河野歯科医院,藤本診療所などの通りがあった。
昭和30年代、宝町以南の方は、ここから、夕張方面の学校に通った人も多い。
昭和36年6月1日の千年町駅売店設置以降左右対称の姿となった。
48年12月の一部廃線時は減築されて中央の三角屋根の建屋だけとなったという。
千年町駅 【奥山道紀】
叔父が大夕張営林署に勤めていて、よく「南大夕張」から列車に乗り大夕張に行きました。
列車を降りるのは「千年町」、そして帰りは「三菱購買会」で買物をして「大夕張」から乗車する事が多かったようです。
当時の「購買会」は、二階にも売場があり、夕張では「おかむら」「中央ストアー」につぐお店でした。
たまに帰りも「千年町」から乗車することもありましたが、列車が「大夕張」駅を出る汽笛を鳴らしてから、「千年町」に着くまでの時間が異様に長く感じられた記憶があります。
小学校の項、汽車通学していました。【向 けい子】
昭和35年頃、私が鹿島東小学校に入学した頃は、明石町の児童は皆、汽車通学でした。
帰りは、常盤町を通って、あのコワイつり橋を渡って帰るか、千年町の駅まで戻って汽車で帰るかでした。
バスに乗って帰ることはほとんどありませんでした。
ずうーと後なってバスに乗ったとき、千年町から明石町までで、料金は5円か10円だったと思います。
父が大夕張鉄道に勤めていまして、千年町にも勤めていましたから、学校帰り、千年町駅は私の遊び場でした。
正しくは、「昭和36年6月1日の千年町駅売店設置以降左右対称の姿となった」ですね。
ありがとうございます。
本文訂正させていただました。
自分の記憶の中では、はっきりしないものの、三角屋根の左右対抄の均整のとれた駅舎の姿です。
中学生の頃、栄町方面から本通りを歩いて、千年町駅を過ぎたあたりで舗装道路が途切れているのをみて、ここが町の外れかと思ったことが印象的ですが、意外と駅舎のことは気にしてみていなかったりします。
意外に、昭和36年に左右対抄となり、昭和43年にはすでにこの姿。
左右対抄の姿は意外に短い期間だったのですね。