千年町に入った 指定商たち

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 南大夕張から新鉱を開いた北部に移転するのに伴い、それまで南部で営業していた商店が、大夕張に移転してきた。

 三菱礦業所が、鉱業用地の一部を区割りして、1戸当たり間口4間、奥行き12間という広さで、営業地及び営業種別を指定した。

 一商店あたり、三戸分まで借地でき、地代は坪あたり6銭3厘だっという。

  

 緩やかな傾斜地に入地し、千年町ができた。

 

【第1次指定商】

昭和4年(1929年)礦業所から指定された商人(指定商)が、入地。

 
高田文次郎(菓子)、山口辰之助(雑貨)、中村保(後に富田外治・魚菜)、井若喜三郎(煙草,新聞)、堀田正夫(牛乳)、杉田文治(履物)、坂本サダ(呉服仕立)、長江房太郎(魚菜)、石川由作(呉服)、織田静賢(酒屋)、北島鉄蔵(豆腐)、坂本勇次郎(バー)、坂本理髪店、中川薬店、斎藤金物店、川西恂三(ブリキ)、相沢半七(クリーニング)、福井静枝(料亭生月)、永原久弥(料理)、井出豊平(土建)、大井鉄平(土建)、今狩蔵(ふとん)、今井幸作(葬儀店)、門馬雄寿(旅館)、近藤利作(大夕張劇場)

 

【第2次指定商】

昭和5年(1930年)5月、第2次指定商11店入地。


土屋商店(飲み屋)、駒商店(時計,新聞)、佐藤庄太郎(造材)、小須田信一(運搬業)、小原庄次郎兄弟(建具)、篠崎公正(石炭運送)、東田左官、帯向商店、千葉金一(理髪)、酒井洋品店、熊谷市助(大工)

 

国土地理院昭和30年空中写真に、上の地図にあたる範囲を便宜的に彩色して示した。

なお、堀田さんは、町のはずれのシューパロ川沿いに牧場を開き、当時、千年町番外地と呼ばれ、熊の出没に脅かされたという。

1件のコメント

  • 今から90年以上前、千年町に入って町を作った方々の御子孫のみなさんも、どこかで元気にご活躍のことでしょう。

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