南部 南大夕張体育館 と大夕張健保会館|Kawauchi Masami
2021-11-24
2021-12-03
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1989年~90年頃(平成元~2年)
三菱大夕張炭鉱に少年工として勤務していた昭和46年頃、三菱大夕張鉱業学校生と少年工(土曜日昼から 授業が有りました)合同で、南大夕張の体育館に行った事が有ります。
南大夕張体育館は、出来てすぐの頃だったのでしょうか、床もツルツルで、ピカピカに光っていました。
記憶では、この時は、一度しか行ってません。
多分、南部に出来たばかりで、見学がてら行ったのではないかと、思います。
その後、昭和56年の水害では、ここ南大夕張体育館に避難することになりました。
大夕張は体育館といえる場所が無く、しいて言えば健保会館だったでしょうか。
健保会館では、バレーボールやバスケットは出来ませんでした。
健保会館は、運動以外にも、「菊の展示会」や「お花の展示会」をしてました。
母親が。池坊「生け花」をしていたので、お花の展示会を見に行った事があります。
(筆者紹介)
昭和29年6月生まれ三男として 南清水沢で生まれ、2歳の時、緑町に、のち春日町で18歳まで大夕張で暮らす。昭和48年、一時大阪へ転出するが、昭和50年帰郷、南大夕張鉱業所ヘ就職し、平成2年3月の閉山まで勤務。
この体育館で三菱大夕張鉄道で撮影された映画「塩狩峠」が上映されました。
協力 日本国有鉄道とありますが、ほぼ全編大夕張での撮影です。
『塩狩峠』
SLたち
炭山駅の機関庫のあたり
富士見町の山々を主人公たちが背景に歩くシーンなど
閉山直前の大夕張ですね。
残念ながら健保会館も、南大夕張体育館も入ったことはない。
昭和45年頃、外から見た印象はすごくある。
大夕張から外の街に出かけるときに、いつの頃か、大きな南大夕張の体育館がバスの車窓から目に入った。
大夕張にはないテレビでみたような現代風の建物が新鮮にうつった。
大夕張は昭和の初めに立てられた健保会館や、古びた昔ながらの炭砿住宅が建ち並ぶ町だった。
小学校や中学校の体育館さえ、木造の昭和20年代の校舎。
それだけに新しい南部の街は印象に残った。
昭和45年頃、新鉱開発で南部の町が変わって行く中での記憶。