鹿島東小学校の音楽室のシカの頭部の剥製|高橋正朝 #68
鹿島東小学校に音楽室ができたのは、年表をみると、昭和30年(1955年)10月のようである。
この年に、私は東小学校に入学している。
体育館で朝礼や何かの催し物があると、担任の先生が生徒を引率して体育館に向かった。
当時、東小学校の低学年のクラスは、音楽室があるエリアだったから、体育館に行く途中にある音楽室の存在は知っていた。
しかし、1年生のときどころか、私が東小学校在籍中には、音楽室で、音楽を勉強したことは1度もなかったように思う。
ピアノはなかったような気がする。 オルガンはあったと思う。
ハッキリと覚えているのは、音楽室の廊下側の壁に、シカの頭部の剥製が取り付けられていたことだ。
鹿島という地名は、シカがたくさんいたから、そう名付けられたと、先生がたは仰っていた。
昔は、シカがたくさん棲んでいたかもしれないが、我々が子ども時代には、山に入っても、シカがいる気配はまったくなかった。
この音楽室での、音楽の授業はなかったが、そのかわりということはなかったろうが、時々、短編映画が上映された。
ここで、私が見た最初の映画は、ディズニーの、バンビのカラー短編映画だった。
2年生の12月に入ってからのことだった。 すでに、毎日雪が断続的に降り、寒さも日ごとに厳しくなってきたが、反面、じきに、楽しいクリスマスや正月がやってくる、昂揚感のある時期だった。
マンガ映画であるから、色が鮮明で、しかもフルアニメーションであるから、動きが優美だった。 美しい画面だった。 感激したなぁ ••••••。
子ども向けの教育的なマンガ映画だったから、動物同士の弱肉強食や残虐なシーンはなかったはずだ。
しかし、かわいいバンビの映画が上映されている音楽室の壁には、シカの頭部の剥製が取り付けられており、子ども心に何とも言えない違和感を覚えたのは確かである ••••••。
私が大夕張にいたころは、野生のシカはいなかった。 それどころか、絶滅しかかっているのではないかと思っていたが、案に相違して、今はずいぶんと増えているようだ。
大夕張がダムに沈む前、そこを訪ねたことのある複数の人たちから聞いたが、シカを何度も見かけたと言っていた。
東小学校の同級生だったある男性は、仕事の商品の買付けで、北海道中を車で移動していた期間がある。夜間に移動することが多いせいだろう、シカと衝突したことが3回もあったそうだ。彼にとって、2度あることは、3度あったのだ。
冬場は、シカが立ち木の皮を剥いで食べるので、木の立ち枯れなどの問題もある。
結局の所、北海道のこの増えすぎたシカの処置は、いったいどうするのだろうか?捕殺して間引きしているのだろか?
(2021年11月27日 記)
昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。以後、仕事の関係で海外で長く生活。現在は、タイ、バンコクで暮らす。
確かに子どもの頃は、野生動物は、シカは熊より印象が薄かった。
でも人がいなくなった大夕張に行って初めて見た鹿島小学校グラウンドの鹿の群れには驚いた。原野に還る街の時間を駆け足で体験しているようだった。
現在、湖近くのグラウンド跡や神社山の跡に行けようにも聞いているが、熊の脅威が身近になっているんだろうな。