鹿島小学校 裏手
2022-01-10
10728
鹿島小学校の西側を回り込んで、緑ヶ丘の裏手。小野美音子さんが、大夕張のうさぎの思い出で書いた兎小屋が建った場所だ。
正面のグラウンドから、入るとちょっとさびしい感じがしたものである。最盛期には、映画を見るための部屋があったが、このあたりにあったのか、あるいは、反対の中庭側だったか、はっきり覚えていない。
その部屋は、昭和45年に、石炭庫とともに解体されている。
鹿島小学校発行の『鹿島のあゆみ』昭和52年の校舎配置図では、この写真正面の校舎3階が映画教室となっている。
ちなみに、正面校舎、2階が職員室、1階が音楽室である。右手の校舎1階が給食室で、この配置は閉校時まで変わらなかっただろう。
1997年に訪れた時、記憶の中の場面と一致する風景をたどりながらカメラで撮影していたと思う。だから、記録しておこうとかそんな気持ちではなく、おのずと感傷的なものとなり、撮影した場面は限られている。
鹿島小学校の西側からの写真は神社からの写真が多く、西側の校舎と前庭が映るような写真はたぶん残していない。
トシさんが、カトリック教会の階段のあたりから撮影した写真を送ってくれているので、こちらにリンクを貼っておきます。
〈鹿島小学校裏手にあったモノ〉
上の写真に小さくうつっているけど。
写真奥の古い小屋のそばにあった、焼却炉。
なぜかシャッターを押した。
今も使っているような古い焼却炉のそばに、ボロボロにさび付いた金属のなれの果てに衝撃を受けたのか、憐憫の情がわいたのか・・・・。