明石の沢へ翔んで逃亡したニワトリ | 高橋正朝 #75

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 前回、# 74 『 ミズキとまゆ玉 』の稿で、『 母親が、紫紅色のミズキの小枝をどこからか切ってきて 』と書いたが、そのミズキは、おそらく、# 45 『 明石の沢からの水汲み 』の稿で言及した明石の沢から、しかも、飯田さんが編集した写真のエリアから採ってきたものだったと思う。 

   

 ミズキは、明石町番外地の我が家のすぐ横の明石の沢にもあった。

 しかし、そこは、急ではないものの、崖になっており、雪が積もっている時期に、わざわざ沢に下りて行くわけがない。

    

 私は、小学生時代、雪がない季節には、崖を下りてシューパロ川によく行ったが、我が家のすぐ横の崖を下りて、明石の沢に行ったことはあまりなかった。

    

 私の幼年期には、開拓方面に行く道路は造成されておらず、# 45 『 明石の沢からの水汲み 』に載っている鉄橋近くまで行き、そこから沢を渡った。

 

 そこの沢の両側の高低差が小さく、側面をのぼるのに、最も苦労が少なかったからだ。  

   

 所々、沢の水の中の石の上に、板切れがのせてあり、それに足を乗せて歩くのだが、十分な幅のある板切れでなかったから、足を川に突っ込んでしまうのが普通だった。 

 

 我が家のすぐ横の明石の沢には、直径1m ぐらいの太さの木が、10本ぐらいあった。

    

 特に、冬季には、キツツキが来て、木を突っついた。 後年に見たアニメのウッドペッカーの突っつき音と同じだ。   

 

 そのキツツキの突っつき音が聞こえると、我が家の窓から外を眺めるのだが、キツツキの姿を見れることもあれば、音だけが聞こえて、姿が見えないこともあった。

    

 我が家から見えていた木は、私が幼稚園に入る前後に伐り倒されてしまった。 

 それで、我が家の窓からの明石の沢の眺望が開けた。

 しかし、雑木や藪はそのまま残った。

    

 幼年だったから、何も理解できなかったが、この木の伐採は、数年後の、道路工事のためだった。

    

 我が家の後ろに住んでいたナガミネさん一家が千年町に引っ越した後に、その家に2世帯が引っ越してきた。

   

 

 そのうちの1世帯が、ニワトリを10羽ぐらい飼い始めた。

 ある日、オジさんが、ニワトリを小屋から出して、金網で作った囲いに移している最中、金網を支えていた棒切れが倒れ、ニワトリが5〜6羽逃げてしまった。  

 

 オジさん、慌ててそれらを捕まえようとしたが、そのうちの1羽が、1m ぐらい跳躍し、羽を必死にバタつかせて明石の沢に向かって翔んで行った。

    

 空中に上昇はできないものの、羽をバタつかせて、50m ぐらいは滑空した。

    

 オジさんとその奥さん、近所の大人が数人、子どもは私を含めて2人、唖然呆然と眺めていた。

    

 滑空ではあるものの、ニワトリがあんなに翔ぶなんて ••••••。 

   

 オジさん、呆れてしまったのか、憐憫の情が湧いたのか、結局、そのニワトリを捕獲する素振りさえ見せなかった。

    

 私の人生で、ニワトリがあんなふうに滑空したのを見たのは、このときだけである。 

   

 柿崎さん、小林さん、阿部さん、板倉さんたちが、番外地に引っ越してきたのは、この珍事の翌年だった。

 

(2022年1月22日 記)


(筆者略歴)

 昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。以後、仕事の関係で海外で長く生活。現在は、タイ、バンコクで暮らす。

   


1件のコメント

  • 明石町番外地、大夕張に帰る時、明石町駅手前の右手に何軒かの住宅があった。
    『大夕張の面影』と名付けたビデオを見ると、そのあたりが映ってもいる。
    昭和30年代前半、地図をみると大夕張の道路はこのあたりで途切れ、開拓へルートが示される。
    高橋さんの文章を読みながら、当時の舞台を思い描いている。

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