白金のおじいちゃんの家 | 孫娘
2022-01-28
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鹿島白金におじいちゃんが住んでいたので、遊びに行って五右衛門風呂に入ったり、家の後ろに作った土のレース場(?)みたいな所におにぃちゃん達が走りに来ていたのを思い出します。
おじいちゃんが亡くなってしまったので、遠退いていましたが、数年前、まだ少し人が住んでいる時にバイクで行きました。
それでも閑散とした様子が寂しかったものです。
右側にダムの水が見えたら橋が見えてきて、その水の上を通って、もっと山奥に入って行く・・・
寂しいものです。
今は東京に出てきて、ほとんど夕張に行く機会はないのですが、来月下旬頃にお墓参りも兼ねて行こうと思っています。
どんな風に変わってしまっているのでしょう。
この目で見ておきたいと思います、あと何度見られるのでしょうね。
私なんかはまだ20代なので、地名の記憶も不確かですが、祖父家に行く途中のダム水を指差していつも
「あそこに家があって住んでいたんだよ」
とお母さんが言っていました。
引越後の場所も、ダムに沈むと聞いて何とも言えない思いに囚われたものです。
きちんと胸に焼き付けにいきたいと思います。行ける機会がある度に。
(2004年 8月16日 記)
大夕張ダムによる移転、シューパロダムによる二度の水没移転の苦労が慮れます。
昭和50年代に白金の服部喜三郎さんの家の裏で行なわれていたロードレースは、KawautiMasamiさんの『思い出の記-奥鹿島の『三時間耐久レース』』でその様子を知ることができます。
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添付の図は、平成9年の白金地区の住宅(『鹿島出暮らした日々』から)