白金のおじいちゃんの家 | 孫娘

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 鹿島白金におじいちゃんが住んでいたので、遊びに行って五右衛門風呂に入ったり、家の後ろに作った土のレース場(?)みたいな所におにぃちゃん達が走りに来ていたのを思い出します。

 

 おじいちゃんが亡くなってしまったので、遠退いていましたが、数年前、まだ少し人が住んでいる時にバイクで行きました。

 

 
 それでも閑散とした様子が寂しかったものです。

 

 右側にダムの水が見えたら橋が見えてきて、その水の上を通って、もっと山奥に入って行く・・・

 
 寂しいものです。

 
 今は東京に出てきて、ほとんど夕張に行く機会はないのですが、来月下旬頃にお墓参りも兼ねて行こうと思っています。

 
 どんな風に変わってしまっているのでしょう。

 
 この目で見ておきたいと思います、あと何度見られるのでしょうね。


 私なんかはまだ20代なので、地名の記憶も不確かですが、祖父家に行く途中のダム水を指差していつも

「あそこに家があって住んでいたんだよ」

とお母さんが言っていました。


 引越後の場所も、ダムに沈むと聞いて何とも言えない思いに囚われたものです。

 

 きちんと胸に焼き付けにいきたいと思います。行ける機会がある度に。

 

(2004年 8月16日 記)


随想

1件のコメント

  • 大夕張ダムによる移転、シューパロダムによる二度の水没移転の苦労が慮れます。
    昭和50年代に白金の服部喜三郎さんの家の裏で行なわれていたロードレースは、KawautiMasamiさんの『思い出の記-奥鹿島の『三時間耐久レース』』でその様子を知ることができます。

    奥鹿島の『三時間耐久レース』|Kawauchi Masami

    添付の図は、平成9年の白金地区の住宅(『鹿島出暮らした日々』から)

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