昭和35年 遠幌駅

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昭和35年 遠くに、ホームと「えんほろ」の駅名標が見えている。

下記『山史』によると、

北炭(北海道炭礦汽船)が遠幌炭鉱を開発、昭和23年に送炭を開始した。

同年6月18日に、北炭が駅舎社宅を完成し、北炭から提供を受けた。

営林署、北夕炭鉱、北菱鹿島炭鉱の岐線があった。

白黒写真に着色した画像

 

【山史(三菱大夕張鉄道58年史)より】

遠幌駅 清水沢起点4K053M 社起点3K850M
  昭和15年6月1日 木材積出の為帝室林野局と協定
  昭和15年9月1日 遠幌加別停留所として木材積出開始
  昭和16年12月1日 発駅を南大夕張駅として連絡車扱貨物を取扱う
  昭和17年6月1日 駅舎完成 現駅舎東方約100M
  昭和17年8月1日 遠幌駅と改称、乗降客取扱うも乗車券発売せず
  昭和18年10月1日 車扱連絡取扱及び社内乗車券発売
  昭和23年1月   北炭遠幌砿送炭開始
  昭和23年6月18日 駅舎社宅完成 北炭より提供受く
  昭和24年1月11日 旅客及び荷物連絡運輸取扱開始
  昭和35年12月1日 電灯料金北炭夕張礦業所に支払い
  昭和38年5月1日 遠幌駅売店開業
  昭和38年8月9日 遠幌駅売店休業
  昭和38年9月30日 遠幌駅売店廃業
  昭和43年12月7日 営林岐線撤去


遠幌駅の写真  【飯田雅人】

 昭和35年頃の炭砿が盛んだ時代の遠幌駅。

 遠幌には昭和40年代、30年代?両親の知人が住んでいました。遠幌加別川の深い谷の手前、伊藤薬局というところがあり、そこに一家で遊びに行ったことがあります。

 大夕張~清水沢間は何度往復したことでしょう。子供の頃の沿線風景は目に焼き付いています。


裏のハゲ山  【kankan】(2007/04/13(Fri) 12:50)

 懐かしい。ボクが遠幌駅と最も縁が深かった時期の写真です。
裏山がハゲ山になっているでしょう。

 この頃、兄弟のように仲が良かった、従兄弟と一緒にこの裏山に登って遊びました。

 遠幌会館に住んでいました。誰か遠幌会館の写真もありませんか?
 4月末日に訪夕します。
            


50年前の記憶  【岩野 孝子〔旧姓)】(2007/01/30(Tue) 14:12) 

 この写真を見たとき、胸がきゅーっとしました。
50年前の記憶が一瞬甦る貴重な体験をしました。



遠幌保育所  【マー坊】(2006/09/30(Sat) 14:04)

 昭和40年頃遠幌保育所に通っていました。
 数年前、保育所の廃屋を見てきました。



清水沢駅から 【なりちゃん】(2006/08/12(Sat) 20:49) 

昭和30年代、小学生の頃おじいちゃんが住む岳見町に、清水沢駅から鉄道で時々利用していました。
今は本当になつかしいです。
現在は岩手県に住んでいます。
     


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