月: 2022年7月

〘 暗黒街の伊達男 〙という題名の映画はあったか?|高橋正朝 #103  続・大夕張つれづれ

〘 暗黒街の伊達男 〙という題名の映画はあったか?|高橋正朝 #103 

 実は、この題名の映画は、本当にあったものかどうか、疑惑の対象である。  ネットで検索してみると、〘 暗黒街の伊達男 〙という題名の映画はでてこない。       〘 暗黒街 〙〘 暗黒街の対決 〙〘 暗黒街の帝王 〙〘 暗黒街大通り 〙 その他がでてくるが、首題の、〘 暗黒街の伊達男 〙は、ありそ…
偶然にも程がある|工藤 央 思い出ばなし

偶然にも程がある|工藤 央

  東京で仲良くなった友人の結婚式で、お父様と話をさせていただくとき、   「お父さん、工藤さんも夕張生まれなんだって」   と紹介され 私 「夕張でもさらに奥の大夕張なんです」  友人父 「僕も大夕張ですよ」  私 「でも大夕張でも端っこの明石町なんですよ」  友人父 「え?私も明石町ですよ!」 …
大夕張炭山事務所前より選炭機の遠望 其の二 絵葉書

大夕張炭山事務所前より選炭機の遠望 其の二

『大夕張炭山』の絵葉書(小紙商店発行)  明治大正期の大夕張炭山。    『事務所前より選炭機の遠望』がうつっている。  手前の建物が、大夕張炭山事務所で、その奥が選炭場ということだろう。  手前に線路の一部が見え、蒸気機関車の上げる噴煙の一部が画面右端に映り込んでいる。  場所は、旧南大夕張駅(二…
大夕張 歴史・文化遺産物位置図 あらかると

大夕張 歴史・文化遺産物位置図

 平成9年(1997年)における大夕張にあった碑などの他橋梁など産業遺産を含めて位置を示した図。    鹿島眺望公園に今は10の碑が残る。  もともとの場所に一番近い場所にあるものは、「夕張東高等学校記念塔」ということになる。東高跡地なのだから当たり前だが・・・。  鹿島この位置図に載ったもののうち…
父の描いた『大夕張10景』|野田卓見 随想

父の描いた『大夕張10景』|野田卓見

『岳麓の里(大夕張10景)』におやじの(淑雄)の絵が載っています。 父は現在83才で札幌市北区屯田にいます。 足が弱って来て外に出る回数もめっきり減りましたが、まだ盛んに絵を描いています。 文章を書いている佐藤貞雄さんも、私と(昭和25年生まれ)同級の道子ちゃんのお父さんです。 伊藤清治さんは父に聞…
夕張市立図書館鹿島分館 思い出の街角

夕張市立図書館鹿島分館

 宝町にあった鹿島図書館。  写真の右下には、当時通勤や仕事で使われていた二輪のオートバイが停まっている。    この建物は、昭和35年に新築以降の建物で、自分が利用したのもこの建物。    本通りから宝町の図書館に向かって入って行くと住宅と図書館の間は、かつての住宅の跡地なのか、写真のように空き地…
白銀橋落橋事故 昭和43年11月 あらかると

白銀橋落橋事故 昭和43年11月

  最初にこのページをどこのカテゴリーに入れたらよいのか、迷った。 当時、運転手だった方がお一人亡くなられているから、「思い出の街角」にというのもちょっとどうかなと・・・・。 そこで、『備忘録-あらかると』というエピソード的なところへ収めることにします。     下の資料は、「白銀橋が永久橋に」とい…
大夕張劇場でみた映画〘 怪談番町皿屋敷 〙|高橋正朝#102 続・大夕張つれづれ

大夕張劇場でみた映画〘 怪談番町皿屋敷 〙|高橋正朝#102

  続・大夕張つれづれ # 101 〘 吸血髑髏船 〙の飯田雅人さんのコメントに対し、 facebook 版に、石崎佳美さんが、 『確かに、幼い頃、怖いシーンの時、目をつぶっていましたね』 と、応答していましたが、当時の低学年の児童は、そういう人がわりと多かった。         ちょっと映画の内容…
ぼっこ手袋の思い出 | 石崎佳美 思い出ばなし

ぼっこ手袋の思い出 | 石崎佳美

 毛糸の小さいぽっこ手袋。 雪の丸い玉が手袋に付いていました。      私は、駄々をこねました。   多分幼稚園(第二聖心幼稚園)に通っていた頃、お友達が持っていたキャラクター(何か今思い出せませんが…)付きの手袋が欲しいと。  やっと買ってもらったのが、小さく、小さく一つポツッとそのキャラクター…
三菱大夕張礦業所 楽しき夕べの団欒/出勤風景 絵葉書

三菱大夕張礦業所 楽しき夕べの団欒/出勤風景

昭和15年(1940年)頃発行された絵葉書から。 「和気満山」   あまり聞き慣れない言葉で、『霊気満山』という言葉が昔からあるが、そのもじりだろうか?  和やかな雰囲気が炭鉱全体に及ぶというような意味で付けられただろうことはわかる。  タイトルの下に、「出勤風景」と「楽しき夕べの団欒」の二枚の写真…
夏のメロン|工藤 央 思い出ばなし

夏のメロン|工藤 央

       夏休みには、父が女子バレー部の顧問をしていた関係上、家にバレー部の方が合宿に来ていたということも憶えています。     あんな狭い家に7~8人くらい来ていたんでしょうか?      夏の思い出としては、教え子の方から「夕張メロン」をいただいていたことでしょうか?     ほぼ毎日に近い…
闘犬の記憶 楽しかった日々

闘犬の記憶

 闘犬は、大夕張でも場所を変えて巡業のような形で何ヶ所かで行なわれていたのか、あるいは、毎年、その年によって違う場所で行なわれたのかわからない。  ある時期(昭和30年代中頃)流行り、その後すたれたそうである。    この闘犬が行なわれていた写真の場所、話によると、春日町であれば、弥生町から春日町に…
私の恩人3  |  久々湊真一 随想

私の恩人3 | 久々湊真一

 宝町一丁目に、新聞記者をされていた(と記憶する)佐藤貞雄さんがおられました。  父の知り合いでもあり、何度かお宅にお邪魔をしました。   私がここで見た(驚いた)世界は、今振り返ると、大変重要な出会いでした。  それは、新聞のスクラップブックでした。  切抜かれた新聞記事は、各々コメントが附されて…
林鉄 新線と旧線の跡 思い出の街角

林鉄 新線と旧線の跡

 大夕張鉄道に乗って車窓を眺めているのが好きだった。ぼんやりしていた少年は、何も考えずただ流れていく景色を眺め、過ぎていく時間に身をまかせているのが好きだった。    明石町駅を過ぎて、開拓(白金)方面に向かう白銀橋が過ぎると、シューパロ湖の対岸に森林鉄道の赤い鉄橋がいくつか見えていた。    中で…