『1968年十勝沖地震』の記憶 | ziny
44年前・・・、もうー、そんなにも時はめぐったのかとしみじみと思うのですが・・
今日、5月16日は、昭和43年(1968)に十勝沖地震が発生した日です。
9時48分だったようです。
この地震は、過去にも、その後も数回発生しているため、発生年を付して区別されており、当時の私達が経験したのはM7.9の『1968年十勝沖地震』です。
函館大学の1階が潰れたあの地震。
昨年の東日本大震災には比べようはありませんが、記憶には残っております。
当時、花の夕張東高等学校三年C組で、○文の授業の真っ最中。・・・
その時刻、グラ、グラッ・・、ビシ・・ビシッ・・バキバキッという感じでしたか、2階の我がクラスの
壁にもクラックが入りました。
途端に、先生は真っ青になり、・・パタッと教科書を閉じました。
そして、一言も発せずに・・一人さっさぁっと出て行ったではありませんか・・・!!。
これは今でも私達の語り草です。
明石町の丘の上の東高でしたので、夕張岳、前岳の眺望はもちろん抜群でしたが、シューパロ湖も眼下に見渡せるのです。
そのダム湖がかなり揺すられたのでしょう。
シューパロ湖の向かいの岸辺の崖に水跡が着いているのが視えました。
湖での津波でしょうか?。
結構離れた我が校からもはっきりと視えたのです。
私の記憶では、7~8メートル?か、それ以上の高さに揺すられたかのように、薄い茶色の崖肌に濃い茶色の水波の跡が着いていたのを記憶しております。
私は、この地震は11月あたりの冬場の頃だと思い込んでいたのですが、5月でした。夜にも大きな余震があり、ストーブの火が気になっていたのを記憶しているからです。(ストーブには、置きを残しているのですから。)
当時は、メーデーの頃にも雪がパラついたこともありました。5月中頃でも、うすら寒い日はありましたし、
ストーブは炊飯などにも使ってましたから、当然、焚いていたのですよね。(フジキ式ストーブでした。)
故郷を離れて、幾星霜・・当時はマイナス30度近くまでを体験した私の体感も、もう錆びてきたのでしょうか。
十勝沖地震の記憶、そして思い出でした。・・・
今年も、この週末19日(土)には札幌で「ふるさと鹿島25年会」が開催されます。半世紀以上の
時空を超えて、懐かしき面々が集います。
翌日は、幼馴染の友の好意により、この東高の元の通学路あたりにできているという付け替え道路のミニパークを訪ね、そして、本当に、ほんとうに懐かしい鹿島小学校校庭のイタヤ楓にも会ってきます。
廻る時を遡り、懐かしき思い出に浸って、楽しい素敵な日々になるでしょう。
(2012年5月16日 記)
その後の『五月晴れの鹿島を訪ねて |ziny』2012年5月の大夕張訪問記はこちら↓