富士見町 炭鉱住宅

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白黒写真に着色した画像

 


チヒロ君の思い出  【飯田 雅人】

 

 住宅の後ろの山がせまる感じが、富士見町5丁目あたりの山側の一段と高いところに、何軒か並んで建っていた住宅を思い出す。

 

 実際、この炭砿住宅の形にははっきりとした記憶があって、幼稚園から小学校にかけて仲良かった西本チヒロ君が、山の方のこの形をした住宅に住んでいたのだった。

 

 何度か遊びにいったことがある。

 二階建の家は珍しかった。

 家の中にあった階段が強く印象に残った。5才くらいの自分には見たこともなかった。

 急な階段を上ったその先の二階の部屋は、天井も低く、いつもと違った何かわくわくするような気持ちにさせた。

 窓からは、眺めがよく富士見町の家の屋根と鹿島小学校の立派な校舎がよく見えた。

 

 

 チヒロ君の家には、玄関先に白い小型のスピッツ犬がいて、遊びに行くとよく吠えられた。

 それ以来、スピッツ=よく吠える犬という印象ができてしまった。

 

 大夕張を出て、しばらくその犬のことは、忘れていたが、1972年のミュンヘンオリンピックの水泳で、マーク・スピッツ選手がオリンピック史上最多の金メダルを獲得したと話題になった時、スピッツ選手には申し訳ないが、当時高校生だった自分が、まっさきに思い出したのは、このチヒロ君の家のスピッツだった。

  

 90年代、テレビCMで曲とともに『スピッツ』の字幕が流れた時も同じだった。

 

 

 学年が上がるにつれてチヒロ君との交流はなくなったが、彼にまつわる笑えない思い出が一つある。

 ある日会った彼は、眉毛を全部なくしていた。

 どうしたの?と聞くと、花火の火薬を瓶に詰めて棒でつついていたら爆発したの、という。

 

 幸い、軽いやけどで済んだようだったが、その話を聞いた私は、それ以来、「花火は危ない」という意識が、身についてしまい、その後花火に火をつけるときは、いつも腰がひけた。

 

 

 (2022年6月11日 追記)


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