大夕張劇場の映画ポスター、〘 遊星王子 〙| 高橋正朝 #95
これも、映画そのものは見ていない。 梅宮辰夫が、『遊星王子』に扮している。
1959年5月19日に1作目が封切られ、5月25日には続編が封切られていると、ウイキペディアに書かれている。
だから、大夕張劇場で上映されたのは、その年の秋口だろう。
鹿島東小学校の5年生のとき、大夕張劇場のガラス戸のなかで見たポスターは、1作目だったのか、続編だったのかまではわからない。
案外、2作とも、同じ日に上映していたかもしれない。
梅宮辰夫という俳優の名前を知ったのは、この映画のポスターだった。
同時に、『続・大夕張つれづれ #11』 で言及した矢島利一が、遊星王子のマンガを、雑誌「少年」に連載しており、それで、その映画が制作された前後、雑誌に載った遊星王子の映画の案内記事にも、梅宮辰夫の名前が載っていた。
スーパージャイアンツの、宇津井健の名前を知ったのも、大夕張劇場に張り出された映画のポスターと、マンガ雑誌からだった。
例によって、ネットの検索欄に、〘 遊星王子、ユーチューブ 〙と入れたら、ショートカットメニューが数編でてきた。 ショートカットメニューだから、いずれも再生時間は短い。
接続されるサーバによるだろうが、数編のショートカットメニューの下方に、〘 その他の動画 〙という項目が現れ、それをタップすれば、さらなるショートカットメニューが現れる。
ただ、留意すべきことは、有料の動画も表示されるので、その点は、注意しなければならない。
私は、ユーチューブは、無料の動画しか見ない。
この映画、『遊星王子』もアメリカに輸出されているので、英語タイトルをチェックした。
prince of space, youtube
で検索したら、ビンゴ!
ショートカットメニューが、数十でてきた。
ただし、音声は、どれもが英語オンリーで、ほとんどが、日本語音声もなければ、日本語字幕もないショートカットだ。
ショートカットでなく、全編を見れるビデオがある。
上映時間は、1∶23∶50 で、音声はやはり英語オンリーで、字幕は、日本語はおろか、英語すらない。
上映時間を、オリジナルの半分以下、51∶21 に縮めたビデオは、音声は英語であるものの、〘 字幕 〙をタップすると、日本語やその他十数カ国の言語の表示が可能だ。
上記のビデオで、梅宮辰夫の若いときを見ることができた。
スリムというか、均整のとれた体格で、このときの梅宮辰夫の顔立ちは、梅宮アンナと似ている。
映画の冒頭の出演者のクレジットは、アルファベット表記だが、TATSUO UNEMIYA になっている。
当時のアメリカ人にとっては、ウメミヤ と ウネミヤは、混同しやすい名称だったようである。
もっとも、ロナルド・レーガンが、アメリカ大統領になるまで、日本のマスコミは、カタカナ表記で、リーガンとしていたのは、私の年代周辺から年配者は周知のことだ。
こういう食い違いは、わりとある。
映画の内容は、子どもが好む、仮面ヒーローもののてんこ盛りだ。
大夕張時代にこの映画は見ていなかったものの、私も、子ども時代には、こういうものに熱中していたんだなぁ、と思いださせる映画だ。
(2022年6月11日 記)
昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。以後、仕事の関係で海外で長く生活。現在は、タイ、バンコクで暮らす。
遊星王子・・・梅宮辰夫
白馬童子・・・山城新伍
前に出たスーパージャイアンツの宇津井健も含めて、当時の子どもたちのヒーローは、漫画本や、パッチ、ドンドコのカードに登場し、身の周りにあふれていた。
時間がたち、それぞれの俳優は、テレビでも活躍するようになった。
あるとき、「あの時演じていた役者は誰々~」と知ることになった。
そんなとき、テレビでカッコよく活躍していた記憶の「ぼくらのヒーロー」と、ブラウン管の中の、目の前の普通に見えるおじさんの姿と、なかなか結びつかなかった。