富士見町6丁目の坂|EZONORA

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 鹿島小学校を背にして、ほぼまっすぐの道路を進んで、どんづまりから少し下ったところの富士見町6丁目に住んでいたことがあります。

 

 

 思いつくことといえば、鉱業所に勤務していた方だと推測しますが、大変太った方が、退社の時間になると、自力では坂道を登ることが無理があったのか、いつも同僚らしき人のズボンのバンドを後ろから掴まえて上って帰るのを、よく見たことがありました。

 

 

 それほど、あの坂道は、肥満の人には厳しい所だったようです。

 

 
 昭和29年9月、青函連絡船洞爺丸を沈めた台風が通過したときは、屋根のトタン板は全部はがされ、家中雨漏り、翌朝、山を見ると、通過したことを思わせるように木々が、ほぼ全部倒れてしまっていました。

 

 

 その後、自宅を、どのように復旧させたのか思い出せません。

 

 
 6丁目ではなかったのですが、同じ町内に住んでいた同級生の木村カオルさんが、母親を亡くされて、同情しても同情しきれないような悲しい気持ちを、何人かの同級生と享有したことが思い出されます。

 

 
 木村さんも、よき母、よく祖母となっているのでしょうね。

 

(2007年9月22日 記)


思い出ばなし

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