あるときは片目の運転手 ••••••7つの顔の男〘 多羅尾伴内 〙| 高橋正朝 #104

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 当時、チャンバラ映画ほどではなかったが、ギャング映画も結構製作されていた。

 代表的なものとしては、片岡千恵蔵の多羅尾伴内シリーズがある。

 私は、大夕張劇場で1本しかみていないが、私の年代の少年たちには人気があった。 少女たちに人気があったかどうかは知らない。

   

 『あるときは片目の運転手、あるときはマドロス、またあるときはインドの魔術師、•••••• しかしてその実体は ••••••』という名セリフで有名だった。 

   

 大夕張劇場で見たポスターでは、片目の運転手に扮した片岡千恵蔵が、運転席から助手席に身を乗り出し、ちょっとこちら側を振り向いているデザインだった。

      

 片岡千恵蔵が現代劇に出演した映画を見たのは、私にとっては、この〘 多羅尾伴内 〙が初めてだった。 内容は覚えていない。 

   

 『あるときは片目の運転手、あるときはマドロス、またあるときはインドの魔術師、•••••• しかしてその実体は ••••••』という名セリフは、後に、セリフを変化させて、テレビドラマの〘 七色仮面 〙に引き継がれている。

    

 ウイキペディアをチェックして、初めて知ったのだが、〘 多羅尾伴内 〙の初期の映画4本は、片岡千恵蔵が主役ではあるが、大映が製作している。

    

 片岡千恵蔵が、東映に移籍してからも、〘 多羅尾伴内 〙は、東映がシリーズ化している。

    

 〘 多羅尾伴内 〙のキャッチフレーズを、同じ東映製作である〘 七色仮面 〙で使用するのは、こういうケースでは問題がないようだ。

    

 ちなみに、〘 多羅尾伴内 〙の原作者は比佐芳武、〘 七色仮面 〙の原作者は川内康範。

    

 この片目の運転手の絵柄は、大夕張での我々の子ども時代には、パッチと呼んでいたメンコのデザインにもなっていた。 しかし、出店などで売られていたセルロイドの仮面にはなかったように思う。

    

 かなり後に、三船敏郎、佐分利信、片岡千恵蔵ら3人が出演した、〘 日本の首領 完結編 〙を、世田谷区下北沢の3本立て映画館で観ている。

 片岡千恵蔵が、現代劇に出演した映画は、それが最後だったようだ。

 

(2022年8月6日 記)


      

(筆者略歴)

 昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。以後、仕事の関係で海外で長く生活。現在は、タイ、バンコクで暮らす。



    

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