イチョウの押し花|高橋正朝 #106
飯田さんが編集した地図をコピペ。
私が、鹿島東小学校に通学していた、3年生か4年生のころである。 どちらかというと、3年生だった可能性が強い。
同級生の女子生徒の誰かが、押し花をつくり、白い画用紙に貼りつけてクラスに持ってきたのだ。 その女子生徒が誰であったか、今となっては皆目思い出せない。
授業の課題には関係ないので、1時間目が終わった休み時間にそれを出して、仲良しの女子生徒たちに見せた。
『うわ〜キレイ』
と数人の女子生徒が、口々に言った。
その歓声を聞いて、私を含んだ男子生徒数人が、それを覗き込んだ。
押し花だった。
とてもキレイに作られていた。 そして、その押し花を、白い画用紙に、セロテープで貼り付けていた。 当時、セロテープはすでに普通に売られていた。
押し花とはいっても、花だけではなく、草もあった。 何日もかけて丁寧に作ったことが推測された。
それらを貼り付けた画用紙には、制作年月日が記入されていた。
しかし、採取場所は書いてなかった。
植物標本を作るのが目的ではなく、押し花を作るのが目的で、しかも、大夕張では、どこにでも生えているものだから、あえて、採取場所は明記しなかったのだろう。
花は、コスモスがあったが、他の花は覚えていない。 前回の投稿に書いたことだが、私は動植物に興味がないせいだ。
その押し花のなかにあって、私の興味を引いたものがあった。
イチョウの葉である。
黄色い色と形が、私には優美に思えた。 初めて見たイチョウの葉だった。
それを見るまで、イチョウの樹が大夕張に生えているのを知らなかった。
そのときの休み時間は、押し花を貼り付けた画用紙を、数人が回し見るだけで終わった。
次の休み時間、押し花を持参した女子生徒から、押し花の作り方を教わった。
午前中だけの授業だったので、そのときは、イチョウの樹がどこにあるのか、その女子生徒に訊きそびれてしまった。
下校時、その日は、鹿島橋を渡って常盤町を通って明石町に戻るルートではなく、千年町を通って帰るルートにした。
同級生の男子生徒が、イチョウの樹が生えているところを知っているということなので、一緒に行くことにしたのだ。 その場所が、千年町駅の向こう側にあるお寺だった。
その男子生徒が、千年町に住んでいたのか、宝町だったのか、錦町だったのか、全く覚えていない。 ただ言えることは、明石町に住んでいなかったのは確かである。
そのお寺は、多分、妙法寺だったように思う。 願正寺だと、駅から大分離れている。
お寺の境内には、黄色いイチョウの葉がいっぱい散っていた。 その散っていたイチョウの葉から、色が良くて形のいいものを10枚ぐらい選んで帰途についた。
帰宅してから、早速、イチョウの葉を新聞紙にはさみ、その上に、重しとしてマンガ雑誌を積み重ねた。
翌朝、そのイチョウを見たら、一応、押し花になっていた。 結局、押し花を作ったのは、イチョウだけだった。 他の花や草の押し花は、全然作らなかった。 しかも、出来た押し花を、女子生徒のように、几帳面に画用紙に貼り付けるなんてこともしなかった。
物ごとに飽きっぽい性格が、この押し花を作成するときにも如実に出た出来事だった。 しかも中途半端だ。 こういう生来の性格は、老人になった今でも同じである。
(2022年8月20日 記)
昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。以後、仕事の関係で海外で長く生活。現在は、タイ、バンコクで暮らす。
千年町駅から山側には、沢に沿って墓地、火葬場、寺院が集まり、大夕張営林署あたりまで落ち着いた雰囲気でした。
緑が多く、その中にあったイチョウの木。
このあたり、春には桜の木々が花を咲かせ、花見の人たちでにぎわっていたそうです。
お盆の時期には多くの人たちが墓参に訪れたことでしょう。
夏の夜は、暗く静かで、好奇心旺盛の中学生にとって怪談話や肝試しの舞台となったこともありました。