大夕張炭山ノ全景 其ノ三

35033

 

『大夕張炭山』の絵葉書(小紙商店発行)

 明治大正期の大夕張炭山。

 言い換えると、昔の南部の市街地風景といえるだろうか。

 後ろの山が『南部貯木場』の写真にうつる山と同じ形に見える。

 南部小学校側の裏手の山の方から撮影されているようだ。

 

 明治40年に、南部小学校の前身である清水沢簡易教育所大夕張特別教育場設置(学級数4 職員2)が設置され、明治44年には、公立大夕張尋常小学校(4学級児童数226)となる。その年の6月には、大夕張炭坑株式会社が清水沢-二股間専用鉄道を完成し運転開始した。

 大正時代、市街地として形の整ってきたころなのだろう。

  

 『二十年史』(S41大夕張炭労発刊)にその頃の坑口と市街地の分布を示した略図が載っている。

 上の写真の見え方に合わせて、切り抜いてみた。

 南部小学校と南大夕張駅があったあたり、場所はそのあたりで間違いないでしょう。 

 

 

 

 

 

前回の記事、同じ『大夕張炭山事務所前より選炭機の遠望 其の二』の絵葉書

 

  

 

 この明治大正期の坑口と、市街の場所を示す地図

  

 

 

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