箱岩(函岩)と夕張岳
シューパロダム本体からみると、ダム管理事務所の対岸にセメントコンクリ-トで固められた岩盤とそばに大きな岩が湖面に屹立している場所がある。
かつて大夕張ダム堤体そばに巨大な岩の名残りがあり、そこはダムが建設される以前は、箱岩(函岩)とよばれその作り出す景観は函渕とよばれた。
大夕張開発の労苦を伝え、神秘的な伝説を残すその固い岩盤の上に大夕張ダムは、造られた。
シューパロ川とパンケモユーパロ川の合流地点に作られた大夕張ダムの150メートルほど下流に建設された、シューパロダムは大夕張ダムを飲み込んだ。
ダムができる前、かつて清水沢から鉄道に乗り、大夕張を訪ねた旅人は次の様な光景を目にした。
車窓にもたれて高々と聳える夕張岳を遠くに眺めること約半時、いつの間にか遠幌を過ぎ、南大夕張を後にした。
トンネルを通りぬけると、直立した断崖の中腹を切り崩した寒々と感じるような場所に飛び出る。
左側は屏風の如き岩の山、右は目もくらむような千尋の谷、その断崖の下の夕張川は今まで谷に砕け、音すさまじく流れていたのが急に姿を変え、鏡のごとく静かに不気味な感を抱かせるような淵となっている。
上の文章は、「鹿島のあゆみ」所載の「ハコ岩の伝説」からだが、最後は次の様に結ばれている。
「しかしその伝説の淵に、今偉大な科学の力によって大ダムが建設されようとしている。やがて将来伝説の淵は吾々の目からは永久に別れることになるだろう」
以来、函渕はダムに沈み、これは自分が7歳ころのことだから記憶にもない。
先人が残してくれた文章を読んで、湖底に沈んだその光景を、想像力を働かせて思い浮かべるだけである。
写真は、2022年8月22日、大夕張行の際のもの。
函渕、ダムができる前の姿
このあたりの地形がわかる大夕張ダムの頃の空撮写真