泉町仮装行列始末|久々湊真一
「知られざる泉町」に一部書いた泉町の仮装行列につき記載します。
既に書いてあったのですが、品が無いので掲載を見合わせていたものです(一部表現に不適
切な部分があることをお許し下さい)。
何の仮装を行うかは、町内会の三役が決めたようで、
「今年は××をやれ」
と有無を許さぬお達しがありました。
私の場合、中一はフラダンス、中二はインディアンの踊り、中三は人生一代(赤子~老人までの仮装)の出し物でした。
最高学年は、プラカードを持つことになっていたので、私が仮装したのは前2つの「裸セット」です。
泉町には振付が上手い、二十歳前後のお姉さんトリオがいました。
当時としては、非常に斬新な振付でした。
お姉さん達がやって見せますが、ポーっと見ていると
「ホラ何してるのヨ、やりなさい」
と尻への平手打ちと厳しい叱咤がとびました。
フラダンスは腰の振り方が足りないと、前後左右に動かす練習をやらされました。
(腰振り動作は、紅顔の美少年?には、羞恥と抵抗がありました)
手・指の振付には、
「水平に! 柔らかく!」
の叱咤が飛びました。
中学生は難しい年頃ですよね。
おとなしく言う事を聞き、指示通りに行った事を驚きます。
美人のお姉さんの威力? 当時の大人達は、どうやれば「難しい年頃の少年が素直に言う事を聞くか」を知っていた節があります(笑)。
当日は、パンツ一丁になり顔や身体に模様を書かれて、お母さん達が作った衣装(腰蓑)を付けて出場しました。
インディアンの踊りも、同様にお姉さんトリオによる、一層厳しい振付指導が待っていました。(翌年にお姉さんトリオの一角が結婚して、最後の振付となった)
フラダンス同様、パンツ一丁になり、一層どぎつい化粧を施されて、出場となりました。
仮装行列はグランドを一周しますが、ポイントで踊りを披露します。
ずいぶん受けましたが、受け方が異常なんですね。何やら、観客がこちらの方を指差して笑い転げている。
隣には、同級生のT君がいるので
「何だろうね」
と言おうと、彼の方を見て驚いた。
パンツから『もろに○○ポコが顔を出して揺れている』ではないか。
T君は、たまたま兄貴のパンツを穿いていたようで、前穴の部分が大きく開いていたのです。
彼に教えて、はずれていたMボタンを掛けさせ、「あんまり動くなよ」と諭しました。
彼をインディアン集団の真中に隠し、なんとか終わらせることが出来ました。
汗、汗、汗でした。
仮装行列を振り返ると、舞台裏の女性パワーが力強かったですね。
お姉さん達による振付は勿論のこと、衣装・弁当(練習しているといつのまにか菓子やお握りがきた)など、お母さん方の熱心さが思い出されます。
(2001年7月9日 記)
久々湊 真一
S34年東小卒/S37年鹿島中卒/S40年東高卒(2期)本州で就学・就職 。父は大夕張に一軒しか無かった印刷業を 営んでいました(みなと印刷)。私にとっての大夕張は「頑張る力」の源泉です。
「ふるさと大夕張(1丁目1番地)」住民登録より
※久々湊さんの『知られざる泉町』はこちらから