キイチゴ、バライチゴ、ヘビイチゴ、コガネイチゴ、ラズベリー | 高橋正朝 #117
大夕張の野山を歩いていると、たま〜に野イチゴを見つけることがあった。
そのとき連想したのが、下記の歌である。
『 野イチゴ〜野イチゴだよ〜 みんなで食べよう〜 』
これは、私が鹿島東小学校の音楽の授業で歌った唱歌である。
しかし、今考えると、どうも詞かオカシイ ••••••。
コマーシャルソングでもないのに、メロディの印象と合致しない〘 食べよう 〙なんて俗っぽい詞が、文部省唱歌にでてくるわけがない。 そう思って、ネットでチェックしてみたら、目指す記事がでてこない。
作曲者はシューベルトだと思い込んでいたので、チェックする前提が間違っていたせいだった。
それで、〘 唱歌、野イチゴ、ユーチューブ 〙でチェックしたら、ちゃんとでてきた。
フィンランド民謡である。
詞は、訳者によって少し違う。
しかし、いずれも、〘 食べよう 〙なんて詞は当然のことながらカケラもない。
メロディは単純で短いので、正しく記憶していたのだが、詞の記憶がイイカゲンだった。
どうも、これは、同級生か遊び仲間の誰かが作った替え歌だったようで、それを記憶して固定化したようである。
話が外れるが、当時の替え歌にこういうのがあった。
やはり唱歌である。 『 靴が鳴る 』の替え歌だ。
『 おてェ〜 テンプラ食べすぎて アチャコ先生にみてもらい、ア〜ァ もうダメだ 発疹チフスになりそうだ 』
この替え歌の詞は、私や周りの遊び仲間は、上記の部分だけで歌はオシマイだった。
原作の歌のメロディに沿って、ちゃんとオシマイまであったかどうかは不明だ。
さて、ここから、ようやく首題にはいる。
野イチゴとは如何なるモノか、当時の私にはさっぱりわからなかった。
わからなくても、日常には差し支えないし、学校の勉強にも無関係だった。
キイチゴ、バライチゴ、ヘビイチゴ、の3つの名称は知っていたが、コガネイチゴは、遊び仲間の女の子が教えてくれたものだった。
ラズベリーなんていうハイカラな名称も、その女の子が教えてくれた。
その女の子は、花は当然のことながら、植物の名前に詳しかった。 親が買ってくれた植物事典を持って野山に行き、実物と事典の写真を対照して知識を涵養したらしい。
植物を実見し、すぐに事典でチェックするというのは大変効果的だが、私は、もう1つ実例を知っている。
アルジェリアで仕事をしていたとき、私が所属していたセクションに、植物にやたら詳しい1周り年配の男性がいた。
彼は、石油化学プラント会社の技術社員だが、仕事にまったく関係ないのに、何故そんなに植物に詳しいのか、ある日、訊いてみた。
彼が若いころ、同僚に、草花に詳しくて女性にモテていた男性がいたらしく、それを見て、負けん気を起こし、文庫本の植物事典をジーパンの後ろポケットにいつも入れておき、実見したモノの前で対照したらしい。
彼は、名前だけ覚えただけではその同僚と大差ないと思って、さらに系統的なことまで掘り下げて勉強したらしい。
しかし、彼は、知識が深いからといっても、それをヒケラカスような人ではなかった。 海外で仕事をしていると、日本にいたときに比べ、色んな日本人を見るが、彼は仕事は当然のことながら、日常の言動などにも人柄がでていた素晴らしい人物だった。
蛇足だが、この女性にモテるということで、松本清張の短編小説と、東海林さだおのマンガ、植田まさしのマンガを思い出した。
松本清張の短編小説は、細身の男が、たしか喫茶店の中だと思ったが、女は眼中にないフリをして、女性が男に興味深い目を向けるように、うつ向き加減のポーズをして、女性を籠絡する場面である。
東海林さだおのマンガは、登場人物の男が彼女と洋画を観に行き、映画館の中で、見知らぬメガネをかけた細身のサラリーマンが、映画のなかの英語会話と翻訳字幕の内容にズレがあるところで、『 う〜ん、チョと違うなァ 』と聞こえよがしにつぶやき、それを聞いた男の彼女が、メガネをかけたサラリーマンに熱い眼差しを向け、メガネをかけたサラリーマンとともに、男を置いて去ってしまうという内容だった。
植田まさしのマンガは4コマだったので、ハッキリ覚えていないが、やはり、細身のサラリーマンが、整髪した髪の前髪を数本だけ額に垂らし、キリッとしたポーズをとっていた場面だけ覚えている。
ツクリモノの世界では、細身のネクタイ姿の男というのが、女性にモテるキモのようである。
アルジェリアでの宿舎の食堂のビデオコーナーで、洋画の恋愛っぽいシーンの場面を観ながら、それを観ながら、ある男はこう言った。
『 女性にモテたいなら、その女性と、文学・音楽・絵画・映画の話しをして、教養をひけらかすのが効果的だ 』
その場には、先に挙げた植物に詳しい男性や私を含めて5〜6人いたのだが、誰も反応せず、笑い声すらでなかった。
1000人ぐらいの日本人がいたから、アタマのネジが1本弛んだような人がワリと多くいたプロジェクトだった。
(2022年11月5日 記)
昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。以後、仕事の関係で海外で長く生活。現在は、タイ、バンコクで暮らす。
大夕張の町の道端に、そこらで見かけた「苺に似てつぶつぶのついた小さな赤い実」
これも「オンコの実」同様、子どもの頃、よく口にしていた。
「野いちご、きいちご」などと、なにげに並列的に言っていたものが、今回の投稿をきっかけに『野いちご』とは、「野性のいちご」の総称であるということをあらためて認識しました。
大夕張でみていた『野いちご』には高橋さんのタイトルにあるようにいろんな種類があった。今やその区別もなかなかつかない。
その中で自分が昔も今も道端でよく見かけて故郷に思いをつなぐモノの一つである(と思われる)『木苺』の写真を一緒に添えさせていただきました。