ウサギのぴょん吉|石原賢治
鹿島小学校2年、3年の頃の話で近所のTさん宅で、ウサギを飼っていました。
そこのお兄さんによく遊んでもらってまして、ウサギが子を産んだと聞き、見に行きました。
ウサギは非常に感受性が強いのか、人に子を見られると食い殺すとかで、網には布で目隠しされて外から見えないようになってました。
そんなことで生物の神秘をかいま見たんでしょうか、親にしつこく頼み込み、我家にもウサギを飼うことが許されました。
父親にウサギ小屋を作ってもらい、物置にくくりつけ、私がぴょん吉と名付けたねずみ色のウサギさんを飼うことになりました。
購買会のうらの精米所から藁をわけて頂き、布団にしました。
糞尿の関係で、ひんぱんに入替は必要でした。
食料は野菜をバリバリ食べていたと思います。
山の畑に行き、どなたかの畑の人参を失敬したこともありました。
母が、購買会へ買い物に行った際に、ウサギさんへと売れ残りの野菜を頂いたことも有りまして、ウサギだけじゃなくわたし等の腹に納まったことも有ったと思います。
1月の日曜日の朝、その日は快晴でしたが、猛烈に寒かった気がします。
雪の季節になりますと、だんだん面倒になりだしたんでしょうか?
世話が大変なんですね。
藁をしょっちゅう貰いに行くのも億劫になりだし、新聞紙でベットを作っていました。
ぴょん吉は冬対策か運動不足かわかりませんが、丸々に太った状態でありました。
おそるおそる、小屋の扉を開けて、ぴょん吉を見ますと、硬くなって動かないのです。
もしや凍死か?と思い、扉はそのままで、慌てて家に戻り親に報告しました。
そして、すぐに、ぴょん吉の小屋へ戻ると、居なくなっていました。
すぐにあちこち探し回りましたが、気配すらありませんでした。
白色ではなかったので目立つはずですが、さっぱりわかりませんでした。
外敵の野犬か何かに襲われたのか、鍵が開いたのをもっけの幸いで飛び出して行ったのかわかりませんでした。
その日は、ずっと泣きべそ状態で過ごしたのだろうと思います。
結局、ぴょん吉はその後どうなったのか解りません。
(2002年2月3日 記)