どこに行っても忘れないもの【坂道】 

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 当時の夕張東高定時制の生徒達が作成した文章がある。

 夕張東高校20年誌『シューパロ』(昭和47年10月)に掲載されたもの。

 おそらく、以前『学び舎に思う』で紹介した、『鹿島のあゆみ』掲載の詩の原作がこれだと思われる。

 

 どこに行っても忘れないもの と題して、

■坂道

■机

■線路

 の三編からなる。

 

 詩のような、語りのような文章で綴られ、働きながら学ぶ高校生達の感性で時代と大夕張を感じることができる。長い文章なので、三回に分けて紹介していく。

  

 つぎのような生徒会役員たちの言葉から始まる。

 


 

この詩は今年三月に創ったものです。

生徒会役員が、皆んなそれぞれ持ち寄った文章を綴ったものです。放課後の短い時間、何度か集まって、みんなで綴ったものです。

どんな答辞をつくるか、それが私たちの課題でした。

記念誌に載せるとあって、また読み返し書き加えたところもあります。

 

定時制生徒会役員一同

(四年 小林和拓 四年 佐藤祐明 四年 鎌田武夫 三年 和根崎 治 二年 今野勅子 二年 土生和子 二年 近内幸子)


【坂道】

どこにいっても

忘れないのは坂道です。

・・・

われらの学校生活を象徴するように、

曲がりくねっていて

急ごうものなら、ひどく息切れして

・・・

学校の白い壁の横まで登りつめた時

ふりかえると

カブト虫の行列のように、

行儀よく土にへばりついている

明石町の炭鉱住宅が見える。

・・・

山の山の、もう一つの山の向こうに、

夕ばえに、うす赤く輝いていた夕張岳

あの、夕張岳を見た坂道を忘れない。

 

夜の下校、坂道の上に立って

あの辺りに自分の家があり、

あの辺に自分の職場があり、

あの灯りの辺りが、職場へ通う道だと

遠い灯りを指さしたことがある。

・・・

この坂道は、夏も冬も、

かつては道がなかったやぶを

ブルで押し開いて

道にしたということを

今でも語ってくれる道だ。

大勢が歩いて踏み固めた道だ。

皆なで歩けば道になることを

教えてくれるような坂道だ。

職場でのつらかったこと、

いやだったこと、

友だちと語り合いながら

ゆっくり登る坂道

・・・

早く帰って、

あのテレビ番組を見るために、

いそいでおりる坂道

・・・

生徒会の仕事が忙しくて、

汽車時間ギリギリに、駅に向って

一きに駆け下りる坂道

・・・

新しいバイクで、新しい自動車で、

嬉しくて得意でわくわくしながら、

思い切ってフカシて登る坂道

・・・

・・・

この坂道は、

今までの僕たちの坂道で、

この坂道は、

これからの僕たちの坂道だ。

1件のコメント

  • 1972年の当時自分と同年代の高校生達。
      
    のちも続く坂道を
      
    息を切らしながら
    汗水をかきながら
    身を削って
    あえぎあえぎ
    登っていった坂道
     
    2023年現在60代、坂道を上った先にどんな光景を見ているだろう。
     
    ふりかえり ぼくらの後に続くものたちとその世の中を泰然自若として俯瞰しながら眺めているのだろうか
    横にいる ともに坂道を上ってきた 同輩達の『いま』を共感しながら楽しく語らっているのだろうか
     
    いまだ 先を行く親や先輩達の後ろ姿に 自分の姿を重ねながら かれらの道の跡を辿り、ゴールまでの道を模索しているのだろうか
     
     
    それでも まだまだ坂道の途中にいることは間違いない
     
    お元気でしたか。
     

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