千年町朝日荘前の階段 | 小野 美音子
河井さんのおばさん、ありがとう・・
私は、あの階段を降りて行った時のはずむような嬉しさを、今も忘れられません。
河井みちこ、ゆうこちゃん姉妹と楽しいままごと遊びが待っていたからです。
バス停まで、必ず笑顔で迎えに来てくれました。
河井さんのおばさんが気さくに招いてくれたからです。
浩宮様がナルちゃんと呼ばれ、可愛い様子がTVで放映されていた頃、皇室の格など関係ないおめでたい私達は、浩宮様のお嫁さんには誰がふさわしいかという無邪気なおしゃべりをしました。
楽しく盛り上がり、消去法で、色白で瞳のぱっちりした大滝かおるちゃんが一番ということになりました。
その一部始終を母親達が聞いて大笑い。
その後のお茶飲み話に必ず出て、河井さんのおばさんが頬にエクボを浮かべて、本当におかしそうに笑っていた姿が忘れられません。
河井先生が日高へ転勤が決まり、別れが近づいた昭和41年の春、おばさんは志村菓子店から、美味しい大きなケーキを
「私が食べたかったから・・」
といって持ってきてくれました。
子供心にも、おばさんの心遣いはぐっとくるものがありました。
というのもちょうど母が体調をくずしていたからです。
その時の二人の会話にお互いを思うまごころを私は感じていました。
かけがえのない友情は続きました。
おばさんが身内以外にかけた最後の電話の相手は母と思われます。
おばさんありがとう。
先生からのしらせで、大夕張時代の人にお骨をひろってほしいと母は言われました。
みちこ、ゆうこちゃん姉妹との楽しい思い出の場をいっぱい作ってくれたおばさんに感謝して、今日の告別式を遠くからお祈りしたい・・
悲嘆は母にまかせよう・・でも・・嗚呼・・・
(2001年6月3日 記)
注※ 写真及びキャプションは今回私が付けました。
当時の掲示板に投稿された『千年町にあった教員住宅に向かう時に通る階段』の写真を見て想起した、小野さんが『河井さんのおばさん』の訃報を聞いた時の悲嘆と、懐かしくも温かい思い出・・・(飯田雅人)