昭和40年代大夕張パノラマ(四分割-3)

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 昭和40年代、正面に見える夕張岳の南側の特徴的な山の頂は何とよんでいたのだろうか。

「あの山」の頂が、「そこにある」ことを意識しつつ、今回これを機に調べてもみたが、結局わからないまま現在に至ってしまった。

 

 鹿島小学校の新校舎、三階の教室の窓から毎日見えていた山の姿。

 

 夕張岳に連なる山々の一番南側にあった。

 自分にとって『夕張岳』は、滝ノ沢岳(通称 姫岳)から続く、この山のあたりまで一つのものといってもいい。

 大夕張の記憶とは切り離せない山の頂の一つでもあった。

 

 

昭和40年代の大夕張、パノラマ写真を四分割。北側から一枚ずつにしたものの3枚目。

鹿島小学校横の高台にあった緑ヶ丘の住宅、小学校裏手の体育館のあたりがよく見える。

 

この辺りは以前『秋の宝沢(泉町)そして『湖風葬』』で紹介した場所だ。

 

 

四分割前の全景写真は、次のページに掲載。

 

 

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