神社に上る道 

18023

あの日、あの頃 何度となく上った道、

 

そしてその後も 何度も上がることになった道

 

 

もちろん上がった分だけ、下ることになるのだが・・・。

 

上がるときの高揚したわくわく感と期待感も、下るときには駆け足で、心はすでに次の目的に向かっている。

 

そんなものごとの始まりと終わりという過程を教えてくれた道でもある。

 

 

 

この坂のつきあたりが「最初の曲がり角」(1997年5月18日撮影)

現在では、この道の直下を国道452号が走る。

 

鹿島小学校グラウンド跡入り口の看板の向かい側にこの道の入り口がある。

昨年(2022年)にこの道を通って神社跡に上ったjunさんのコメントを紹介をする。

  

 

5月7日(土)大夕張に行ってきた。神社山の辛夷と夕張岳の景観を見るため。妻も一緒。

11時頃に神社の登山口に着くと先客がいた。珍しい。

相手の方から先に話しかけられた。

 
「参道の草が刈られていたので行ってみたけど、足下がじくじくしていて途中でやめた」


鹿島小学校元教員の宍戸さんとのこと。

昭和9年生まれだというが姿勢も身ごなしもテキパキ。
友人を後部座席に乗せ、私に手を振って颯爽と走り去った。

 
大夕張は長閑。今年も春の訪れは早い。夕張岳の稜線の雪もかなり融けて黒く見え、昔とは違う。

 
湖は満水位よりも低かったので、「大夕張の橋立」も盛り上がって見え、あまり橋立っぽくない。

 
校庭のイタヤカエデは相当弱っていたね。

オオジシギさんは今年も来て元気に鳴いている・・

 

(2022年5月9日 「大夕張掲示板」へのコメントより)

 

junさんは、今もこの道を上り、神社跡からの風景を描き続ける。

 

 

 

1件のコメント

  • 『神社に上る道』とタイトルをつけましたが、昭和48年まではそうかもしれませんが、それ以降は、浄水場がありそこに行き来する道だったのでしょうから、「浄水場への道」というのが年数的には正解なのかもしれません。(閉山後地元でなんと呼ばれていたのかも知りません)
     
    「三菱大夕張炭鉱」時代に住んでいた人の多くは「神社への道」としての記憶でしょう。
    この「ふるさと大夕張2丁目3番地」自体が、その時代の目線ですから。
     

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