幼稚園 園庭の名残り 1997 

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『はらっぱ』の中の遊具。

原野の中の遊具といった風情だが、きちんと手入れがされていて、当時、子どもたちの遊び場として機能していたようだ。

  

栄町から富士見町方向をみる。

奥の白い建物のみえる場所あたりに富士見町の詰所があった。正面奥に踏切があり、石炭列車が左右に走った。

向こうの山の中腹に浄水場・大夕張神社跡が見えた。

  

 

 

 大夕張鉱業所幼稚園-第二聖心幼稚園だった建物はすでになく、この時の『大夕張保育園』は、『鹿島児童館』とともに、駅前通りの旧児童会館の建物に移っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 以前、大夕張を訪ねたある人の、次の様な投稿をよんだことがある。

 

 

 息子を連れて何十年ぶりかで訪ねた故郷大夕張。

 すっかり変わってしまった故郷の姿に心を打たれながら、その姿を夢中になって写真に収めていた。

 

 その時、傍らの息子が、

 「お父さん、どうしてそんな草原ばかり写真にとっているの?」

 と、不思議そうな顔をして尋ねたそうである。

 無邪気なその問いに思わず苦笑したという。

  

 

 その人と、おそらく同じように、この写真を撮った日の自分の心の中には、ほんの数年間だが、肩から幼稚園バックを提げて通ったあの『三菱礦業所大夕張幼稚園』の建物とその園庭が見えていた。

 

 ここは、6月には綺麗な花々が花壇に植えられ、ベンチもあった栄町公園の敷地とつながり、あの立派な健保会館の建物とその前庭でもあったのだ。
 

 

 そして、そして幼稚園から見える公園の向こうの木塀で囲われたプールでは・・・・・

 

  

 と、そんな思いでカメラを向けていると、連れていった小さな娘は、親父の心に映る光景など知るはずもなく、目の前のジャングルジムに向かってかけだしたのだった。

 

 下は、ほぼ同じ場所からの幼稚園。

 

 

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