〘 共栄橋 〙がある山肌で聞いたクマの吠え声? | 高橋正朝 #151
一週間前の投稿、〘 共栄橋 〙の写真は興味深かった。
写真のなかの手前が男性なのは誰でもわかるが、奥に写っている人物は、小さく写っているので判然としない。 女性のように見える。
バックの植物群の山肌だけをみると、明石町側の山肌なのか、開拓側の山肌なのかはハッキリわからない。
写真の吊り橋のロープの支柱の左手に坂道の片鱗があれば、それは明石町側の山肌である。 逆に、写真の右手にあれば、その坂道は開拓側の山肌だ。
写真の背景の植物群は、着色しているにしても緑豊かに繁茂しているが、もし、仮に、明石町側の山肌だとすれば、坂道の谷側と山側に、多少の植物群の濃淡の差異というか、線がありそうな気がする。
しかし、植物群の差異はなさそうだ。 それゆえ、小さな人物像の右側が、坂道になっているのではないかと想像した。 だとすれば、背景の植物群は、開拓側であろうと勝手に決めた。
どちら側であろうと、まぁ〜、これから書こうとする主題には、ことさら影響はない。
私が、鹿島東小学校4年生のときである。
明石町番外地に、遠藤ヨシカズという1歳年上の男児がいた。 アダ名はヨッコ。 夏休み、彼に誘われ、開拓に遊びに行った。 ヒマつぶしだから、特別な目的はなかった。
帰りがけ、シューパロ川岸から、明石町側の山肌を登って行った。
道などはなく、草や雑木の間をくぐり抜けたり、もしくは、小枝や草につかまりながら、アクセク登っていた。
『 ウォー 』という突然の吠え声。
『 クマだ! 』
二人同時に顔を見合わせて叫んだ。
慌てて、坂道がある方向によじ登った。 子どもとはいえ、小学校高学年だから、敏捷性はある。 とにかく、一目散に登った。
そうしたら、そこに、〘 ヨシタダ 〙がいた。
彼が、山肌をよじ登っている我々を見つけ、驚かしたわけだ。
〘 ヨシタダ 〙というのは、〘 ヨッコ 〙の親戚である。 人相からすると、〘 ヨッコ 〙の母親と〘 ヨシタダ 〙の母親に血縁があったようである。 我々より、4〜5歳年上だった。
〘 ヨシタダ 〙は、開拓に住んでおり、小林さんチと平山さんチが近所だった。
近所とは言っても、かなり離れているが ••••••。 彼は、たしか、夕張工業高校に通っていたはずである。 とにかく、あのときは、キモをつぶした。 今となっては笑い話だが ••••••。
(2023年7月2日 記)
(筆者略歴)
昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。以後、仕事の関係で海外で長く生活。現在は、タイ、バンコクで暮らす。
メール宛先:tkhsmstm@hotmail.co.jp
「共栄橋」の写真の背後は、明石町側か、開拓側か・・・
その場所を知っている高橋さんならではの見方だと思った。
書かれている以外にも、太陽の方角は?川の上流はどっち?など
あれこれ考えるてみると楽しい。
背より高く茂る草原(くさわら・・こんな言い方していたっけ)にもぐり混んで、人を驚かす。
子どもだから意味もなくやったっけ。
むかし熊の着ぐるみを着て、道路脇の草原を走ってバスの中の観光客を喜ばせたという話を聞いたことがあるが、今じゃ洒落にならない・・・。