昭和48年11月鹿島中学校生徒住所録

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  ここに送ってもらった一冊の『鹿島中学校生徒住所録』と書かれた名簿がある。(正確に言うとそれを撮影した写真だが)

 

   藁半紙をホッチキスで閉じただけ簡素な作りの名簿は、黄ばんで文字も薄くなっている。

  発行された日付は、昭和48年11月。

 

  三菱大夕張炭鉱閉山が決定した1973年8月、その二ヶ月後の『生徒住所録』である。

 

 

 この『生徒住所録』は全部で38ページに及ぶ。

 旧1年A組から旧3年F組まで、全18学級と教職員の名前と住所が、各クラス見開き2ページに男女別に記載されている。

 

 旧と書かれたということは、この時期生徒数減少による学級再編が行なわれたのだろう。

 

 手書きの字体からは、あわただしく数人の手によって作成されたようにも見える。

 

 郵便番号等が書きかけのままだったり、転出先の住所がまだ未定なのか、転出先の市町村と学校名だけが書いてある生徒もいる。

 

 

 昭和48年の秋、11月という時点で、閉山で残った人、移動した人それぞれの住所がなんとかわかるようにという懸命の思い、生徒達の絆を繋ぎ止めようという精一杯の思いで作成された名簿だったに違いない。

 

  

 28~36ページにわたって掲載されているのは、3年生。

 

 翌昭和49年3月に卒業を迎える学年だ。

 

 旧3年A組からF組まで、6学級225名(男子137名、女子118名)の生徒の名前と住所が掲載されている。

 

 

   

 ここに書かれて3年生の人数の内訳は次の通りだ。

 

 

学級名男子女子
旧3年A組20名22名42名
旧3年B組22名20名42名
旧3年C組22名21名43名
旧3年D組25名19名44名
旧3年E組24名19名43名
旧3年F組24名17名41名
 合 計 137名118名総計225名

  ちなみに先生達の名前は載っていない。しかしどういうわけか、旧3年C組の中にだけ、生徒達に混じって山崎克秀先生の名前と住所が紛れ込んでいる。

 

 このあたりにも混乱と慌ただしさの中にいた当時の様子が見てとれるようだ。

 

 ここに出ているのが、学級発足の4月時にいた生徒達の名前と数字だろう。

 6学級40人以上いる。

  

  この内訳に、転出した生徒の数を書き込むと次のようになる。

 (カッコ)の中の数字が転出数である。

 

学級名男子女子
旧3年A組20名(6名)22名(13名)42名(19名)
旧3年B組22名(13名)20名(14名)42名(27名)
旧3年C組22名(12名)21名(15名)43名(27名)
旧3年D組25名(16名)19名(12名)44名(28名)
旧3年E組24名(10名)19名(10名)43名(20名)
旧3年F組24名(13名)17名(6名)41名(19名)
 合 計 137名(70名)118名(70名)総計
225名(140名)

 総計のところからわかるように、この時点で、225名の名簿から140名が転出し、85名の生徒が残されたのだった。

 

 同じ学年のもう一つの名簿がある。

 鹿島中学校閉校誌にも載っている、同じ27回卒業生の卒業名簿だ。

学級男子女子
3年A組19名17名36名
3年B組24名16名40名
3年C組21名14名35名
合計64名47名総計
111名

 

 単純に総計の人数を数字だけ見ると11月から増えているようだが、現実にはこれ以降、移動に伴う伺い知ることのできない家庭の事情や、それに伴う様々な出来事が起きていたに違いない。

  

  3年A組本信幸先生、3年B組山本晴一先生、3年C組相坂繁先生の3人が卒業担任となった。

  

   

 

  
 半減というか、それ以上の数の生徒達が年度途中に転出したのは、この学年だけではなく、他の学年も同様であり学校として異常事態の中にあったと言える。それは地域のあらゆる場所でそうだった。

   

 名簿という具体的な形で目にすると、閉山によって引き起こされた当時の地域や、そこで暮らす人々の困難な状況をあらためて感じ、いろんな思いが湧いてくる。

  

 最後に、3年生の生徒達の転出先の地域をリストにしてあげておく。

 

 大夕張炭鉱組合の解散誌には、組合員の再就職先、移動状況が出ているが、それと当然同じ傾向にある。

 

  

 あの山の中の大夕張で卒業を迎えるはずだった3年生が、余儀なく転校することになり全国に散って今年でちょうど50年。

 

 50年前、転校した生徒のもとにも、この名簿は学校から送られてきたという。

 

 図らずもそれぞれが違う学校を卒業し、社会人としての歩んだ道は違えども、60代後半となった今、懐かしいあの日々に思いを馳せ、酒を酌み交わしているのだろうか。

 

 

(道外)

 神奈川17名・千葉17名・静岡16名・東京6名・秋田2名・福岡2名・大阪2名・三重2名・群馬2名・埼玉2名・愛知1名・茨城1名・石川1名・広島1名・宮城1名

 

(道内)

 札幌25名・三笠4名・苫小牧3名・室蘭3名・芦別3名・美唄2名・江別2名・函館1名・旭川1名・滝川1名・栗沢1名・小樽1名・石狩1名・恵庭1名・登別1名

 

(夕張市内)

 市内8名 南部7名

以上140名

 

 

 ※

 数字、データ的なことは飯田が個人的に集計したので、間違いがあるかもしれませんが、ご容赦願います。

 今回は3年生の名簿についてだけ集計しましたが、2年生以下1年生まで同じ状況だったことに変わりません。

 当時の困難を乗り越えてきた教師、生徒他各方面の方々の努力と苦労にあらためて敬意を表します。

 

 


 


備忘録

  

 

 

 

 

  

 

 

  

 

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