水溜まりに棲んでいたタニシ?| 高橋正朝 #155
ザリガニ獲りをした場所は、チョロチョロした淀んだ水が流れる沢だった。
水が流れると書いたが、清水とは言えない流れである。
清水が流れる場所に棲息したザリガニがいたかもしれないが、少なくても、明石町に住んでいた私や遊び仲間が獲っていたザリガニは、淀んだ水が流れる小川だった。
水が流れるというより、ほとんど滞留した水溜まりだった。
蒲の穂が生っている水溜まりは、ザリガニが棲息していた水溜まりよりは澄んでいた。
もちろん、湧き水のように澄んではいない。 あくまで比較の印象だ。
濁った水溜まりのなかで生っている蒲の穂もあったが、マ、だいたいが澄んでいた。
蒲の穂が生る草が育っている水溜まりの底には、何やら、カタツムリ形の動物を見ることがあった。 タニシかな?と思った。
幼児のときにカタツムリに似たのが水溜まりの中にいるなと思っていたが、ハッキリ認識したのは、鹿島東小学校の2年生か3年生のころである。 本物のタニシのことは知らない。
タニシのことはマンガ雑誌で見ているので、勝手にそう思っただけである。 マンガのなかでは、タニシを煮て食べる場面もあった。
しかし、私は、そのタニシ形の動物には触らなかった。 カタツムリには触るのだから、そのタニシ形のモノに触ってもよさそうなものだが、何となく憚れた。
遊び仲間も、そのタニシ形のモノには言及しない。 我々が見ている範囲では、それは水中でジッとしているだけで、少しも動かなかった。
鹿島東小学校の4年生のとき、もしかすると5年生だったかもしれない。
風土病のことが理科の授業で出てきた。 日本脳炎、日本住血吸虫などである。 色んな寄生虫については、ジストマのことにも言及があった。
鹿島中学校だったか夕張工高のときだったか曖昧だが、白土三平のマンガで、住血吸虫やジストマのことに言及したモノがあった。
そういうことをマンガで言及するのも白土三平のマンガの魅力のひとつだ。 ケシから麻薬をつくりだす描写を見たときはびっくりしたことがある。
北大路魯山人は、タニシの生煮えを好んでいたようで、彼は、肝臓ジストマによる肝硬変で死亡している。
タニシといえば、手塚治虫は、タニシの精虫の研究で医学博士になっている。
大夕張時代に、私や遊び仲間が見たタニシ形の動物は、果たして、本物のタニシだったのか、タニシに似た他の動物だったのか、今となってはわからない。
(2023年7月29日 記)
(筆者略歴)
昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。以後、仕事の関係で海外で長く生活。現在は、タイ、バンコクで暮らす。
メール宛先:tkhsmstm@hotmail.co.jp
タニシは子どもの頃、よく見かけた。
蒲の穂が生っているちょっとした池のような水溜まりにも、家の近くの雨が降ってよく水が溜まるような場所にも。
子ども向きの本には、たいてい、タニシは「水田に棲む巻き貝」などのように書かれていたが、どうもピンとこなかった。水田など見たこともなかったからだ。
こういう本の情報と大夕張での体験との齟齬はけっこう大きかった。
だからタニシを見つけても何の興味も湧かなかった。
ザリガニや川で採れる魚は宝物だったが、タニシには、申し訳ないがそこらにある石となんら変わりなかった。