常盤町詰所の池?
この写真について投稿者の菅原正広さんは次の様にいっていた。
これは何処ですか?分かる方居たら教えて下さい。そもそも大夕張なのかもわかりません。
弟と私の服や靴からみて昭和45〜6年だとは思うんですが。
この写真を見て、自分は常盤町の詰所の横の池を思い出した。
もっとも自分が知っている常盤町は鹿島橋から暁橋・常盤橋から鹿島中学校を結ぶ道路を中心とした記憶だ。
すでにあちらこちらの軒先を縦横無尽に遊び回っていた少年時代は終わり、中学生になっていた。
それでも昭和43年の春から昭和47年の春まで、毎日朝夕歩いて通った道の光景は意外と記憶にある。
通学路の途中、暁橋から鹿島中学校へ向かう坂道につきあたる角の右手に常盤町の詰所の建物があった。
その詰所と道路の間に池があった。
道路はやや高くなっていて、そこからみると低い位置に池はあった。
いつも手入れが行き届いて綺麗に管理されていたような記憶がある。その周辺では中学校の美術の授業で写生をしたこともある。
この写真はその印象に近い。
そう思って、常盤町詰所の池の姿がないか『昭和47年常盤町全景』と『昭和30年常盤町全景』などの全景写真から探してみた。
すると昭和30年頃から昭和47年頃までほぼその形はそのままに常盤町詰所・集会所と周囲の池があった。
昭和30年頃の常盤町詰所の部分をピックアップしてみた。
けっこうな広さがあり、あらためて常盤町詰所・集会所に隣接した庭園風な池として整備されていたことがわかる。
だが、菅原さんのこの写真がその池であったかと言えるかというと、残念ながら自信はない。
通学路の途中、池があったという記憶は鮮明であり、ダムに沈む前(1999年頃)鹿島中学校の跡地を訪ねて行ったときもその池の跡を確かめることができた。
この写真は、そんな常盤町詰所脇にあった公園の記憶を呼び起こしてくれた。