北の零年・・いま頃 | 内川准一

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大夕張でロケが行なわれた
映画『北の零年』


ようやく今頃になって、楽しみにしていたこの映画を見てきました。
3時間を退屈せずに楽しめました。
感動の場面では映画館の中がシーンとなって満員を感じさせない雰囲気が圧巻でした。

しびれますね、この雰囲気。

 

時代的には、稲田藩の懲罰が目的だったために、こんな明治初期に氏族が入植したのだと知りました。
開拓使による屯田兵の開拓は、もう少し後に始り、明治23、4年頃には終了した。

この間、生活物資の補給を始め、多少の保護はあったはずだけど、入植時期の早かった稲田藩の武士達の苦労は、これとは比べものにならないほど大変だったと思われるが、映画では実感が薄い。

 

 

 

私の曽祖父(辰次郎)は、佐賀藩の屯田兵として明治21年に札幌新琴似に入植した。

当時20才。

45歳の父(佐七)と母が一緒だった。

 
佐七は生涯ちょんまげを切らなかった。(映画でその理由が少しわかった)

 
辰二郎は、その後、24才で同じ佐賀県出身の女性と結婚し、多くの子供をもうけたが、大正14年の冬、新琴似町内で行き倒れて死亡した。

 
遺体が発見されたのは、雪が完全に消えた翌年4月下旬のことだった。

 
たった80年前でも、そんな時代だった。

 

 閑話休題

 
ずり山やダム湖が写っているのは、(大夕張出身者の特権で)お笑いで済ませるけど、誰も手袋をしていない冬の場面や、秩序もなくむやみにクワを振るっている畑のシーン、細い切株(だけ)が残っている入植地風景には「ちょっとなー」と思ってしまう。

 
アメリカ映画の手法で、大量の撮影が繰り返しなされたという割には、細かいエピソードにこだわりが多く、逆に天気の判断を誤って遭難しかけたりする場面では、状況説明に丁寧さが足らないように感じた。

 
エキストラが多いと聞いていたほどには、出演者が多いと感じないのはなぜ?

 
もしかしてカットされた?

 
   * *

気になる場面も多かったけど、恥ずかしながら、夫婦で映画を見たのは十年ぶりくらい。

 
涙の出るシーンもあった。

 
先祖の苦労と、自分の育った大夕張の景色が渾然となって、不思議な感動を覚えたことでした。

 

(2005年2月14日 記)


随想

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