そのむかし、宝沢は沢を埋め立て暗渠となり、その上に緑町と千年町を結ぶ道路を通した。 昭和7年の秋から翌昭和8年の1月にかけてのことだった。 戦後、そこにできた商店街と、新しく与えられた岳富という町のなまえ。 すでに町はなく、舗装された道路だけが宝沢の窪地に緩やかな弧を描き残っていた。 それでもそれが、数少ない、見覚えのある確かに『大夕張の風景』だった。 2001年11月11日 撮影