不二家のミルキー | 高橋正朝 #183

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昭和26年(1951年)ミルキー発売。ペコちゃんの目玉は持って歩くとコロコロ動いた。

 

 

 表題に入る前に、2024年2月2日に、〘 みた 〙さんから、『続・大夕張つれづれ # 143 北海道弁•••あめくさい・あめてる・あめる』 に書き込みがあり、不良ことばとしての例が書かれていました。

 北海道弁としては同じでも、微妙に変化して面白かったです。

 北海道弁で有名な〘 大泉洋 〙は、その不良ことばを知っているのかな?

 

 

 2024年2月6日に、〘 成田利夫 〙さんから、『大夕張つれづれ # 1 自己紹介 に、アダ名が〘 デンスケ 〙こと大宮先生のことに触れていました。

 

 〘 デンスケ先生 〙のことを〘 もっちゃりした話し方 〙という表現したカ所には微笑んでしまいましたが ••••••。

 

 

 ところで、〘 成田利夫 〙さんのお姉さんが6つ歳上と書いてありましたが、もしかすると、同学年だったのでしょうか?

 私は、昭和23年11月生まれですが •••••。

 

 

 

 表題の話を始めます。

    

 不二家のミルキーは、明石町の購買会、生協、服部商店でも売られていたと思う。

 思う、と書いたのは、ハッキリした記憶ではないからだ。

    

 この不二家のぺこちゃん・ポコちゃんの図柄の箱に入っていたミルキーは、大夕張の駅構内の売店と千年町の駅構内の売店で売られていたのを、時どき目にしていたので、その記憶はハッキリしている。

   

 

 明石町駅には売店はなかった。

 しかし、購買会などの店では売られていたろうと思うのだが、記憶がハッキリしていないのは、店のなかで、ペコちゃん・ポコちゃんの箱を、ためつすがめつ眺めていなかったからだろう。

    

 それに比して、たま〜に汽車に乗るときは、大夕張駅や千年町駅での待ち時間には、たいてい売店の商品を眺めていた。

  

 子どもであるから、私も他の児童も腕時計を持っていないので、たっぷりした余裕時間でもって駅に到着するわけだ。

 

 というか、汽車の発着時刻など眼中になく、行き当たりばったりで駅に行った。

   

 遊び仲間が一緒だとオシャベリをするわけだが、1人だけだとヒマである。

 そのヒマなときに、売店の商品を眺めていたわけだ。

 まちがっても、教科書を開いて予習復習などをすることはなかった。

 

 

   

 不二家のミルキーは、普通のキャラメルとは違った味覚だった。 憧れのソフトキャンディーである。 名前のとおりミルク味だ。 ミルクが好きなこともあり、ためつすがめつしたわけだ。

    

 前回の投稿で触れた、サイコロキャラメルや、他の明治製菓や森永製菓やグリコなどのキャラメルなどより価格が高かった。

   

 私が不二家のミルキーのペコちゃん・ポコちゃんの図案を最初に見たのは、新聞の広告だった。

 鹿島東小学校に入学したかどうかのころである。

    

 初めて食べたのは、小学校2年生か3年生ぐらいのクリスマスの時期だった。

    

 うま〜いと思った。 

   

 やはり、同じころ、明石町の炭住に住んでいた、父親の知人の息子さんが、時どき、使いで、父親が読んだあとの小説を借りにきており、雪が降っているある晩、『 子どもさんに 』と言って、風呂敷から出した2箱のミルキーを置いていった。

    

 たしか、当時、高校1年生だったように思う。

 学生帽をかぶって学生服を着ていたが、子どもの私からみると彼は大人なのだが、今、思い出しても、社会人としての挙措動作だった。

    

 以前のペコちゃん・ポコちゃんの目玉は動かず、図案の似顔絵はすべて印刷だった。

    

 それが、小学校4年生ぐらいのとき、目の白い部分が透明プラスチックになり、その中に黒い目玉が入って、箱を振ると、その目玉が動くパッケージになった。

    

 他愛のないカラクリだが、そのころから、自己反応で自然発火することがあるセルロイドが規制されるようになったが、現在はともかく、当時のペコちゃん・ポコちゃんの目は、セルロイドだったのだろうか?

 

 (2024年2月10日 記) 


(筆者略歴)   

 昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。以後、仕事の関係で海外で長く生活。現在は、タイ、バンコクで暮らす。

メール宛先:taka-jp@outlook.com  (メール宛先変更になりました)

  


   

  

 

2件のコメント

  • 高橋さま
    高橋さんのことは姉に聞いたことがあるんですが、覚えていないと言っていました。
    鹿島小学校卒業で、鹿島中学校では確か12クラスだったか15クラスだったかあったそうなのでわからないのかもしれません。
    それから東高校に行っています。
    大宮先生のことはデンスケとよく話していました。

  • ペコちゃんは、昭和25年の「ミルキー」新発売時にデビューした。
    今や『大ベテラン』となった。
    アメリカ雑誌の広告に載っていた女の子がモデルだったそうだ。
     
    パッケージを見ると、今も昔もペコちゃんはトシをとらないが、その間に洗練されていった。ペコちゃんのお友達である7歳のポコちゃんも、現代的な顔となった。
    ペコちゃんと違って舌を出していないのは、舌のない国からきたのだとか・・・・・
      
    下は、『広告キャラクター大博物館』という日本文芸社から出た本の中から、初代ポコちゃんの顔。今と比べて髪の毛が短く前髪がない。

    一緒にうつっているのは、昭和43年以降のミルキーについてきたオマケ。
      
      
      
      

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