富士見ヶ丘スキー場 『食堂』

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スキー場のロープ乗り場のゲレンデには『山小屋風食堂』があった。

なんとよばれていたのかは、わからない。

 

昭和30年代、写真は『1961年~1971年 大夕張映像』のスクリーンショットから。

 

石野くんのお父さんが撮影した8ミリ映像にUHBがつけたキャプションでは、1961年となっている。

 

『大夕張の全景』写真で、スキー場周辺を年代別に比べてみることができる。

昭和32年の全景にゲレンデがうつっているが、そこに小屋はたっていない。昭和40年代の写真でもすでになくなっていた。

 

だが、この8ミリが撮影された頃の全景写真にはその姿を留めている。

  

自分は昭和31年の早生まれなので、その頃のスキー場には、大夕張に住んだことのある人並みには通った。

このスキー場と住宅の板塀にそった道を鹿島小学校への登校、下校時に通っていたこともあるが、ゲレンデ付近の景色もすでに朧気だ。

夏、水が湧き出しいつも湿った地面と夏草の生い茂った時期の雪のないゲレンデの姿が印象に残る。

 

かつて泊川さんが、思い出の中で『むかし話 スキー場 山小屋風食堂』の中で、ここの建物のことを書いていた。 

ラーメンやうどんが食べられたという。

  

大夕張の商店街で食堂をやっていたどなたかが、冬期間限定で、店を出していたのだろう。

昭和30年代、10年間にも満たない期間、存在した建物のようだ。

町域がそう広くなかった大夕張で、需要はなく、はやらなかったのかもしれない。

早い話、みんな『家に帰ってごはんを食べた』のだろう。

   

 

それでも、雪煙を上げてスキーを滑ったあと、ここでお腹を満たしたという思い出を持つ人や、ここに建物があったという記憶を持つ人も、きっとたくさんいるに違いない。

 

 

 

 

 

 

白黒写真に着色した画像

 

   

 

 

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