小さき頃の思い出と閉山の頃 |山家直己

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富士見町の思い出は、1番はスキーです。

 

 

4年までは緑町に住んでいましたので、幼稚園からスキーしていました。

帰りは友達と神社側から小学校のグランドを抜けて(夕方暗くなりグランドの空にグレーの母船型のUHOを2人で見たよ)スキーを履いたまま線路と車道を渡り、家まで帰るのを恒例にしていた。

 

危ないね。

 

母の弟、鈴木章一(東高校1期)は炭鉱の組合長で千歳町から富士見町に移り、閉山の後始末を最後までやりとげた尊敬する叔父です。

 

 

退社後は浜松にヤマハに就職して、土日はスキーのインストラクターをして75歳まで滑っていた。

 

叔父さんの涙を見たのは富士見町で叔父と母の父が雪の降る中、富士見町自宅で葬儀をしている時の送る言葉で、私・弟・母も貰い泣きした。

 

 

同時に閉山で大夕張の町が死に、関係していた人々・子供達がバラバラに去って行くんだと思った瞬間でもあった。

 

(2024年2月10日 記)


 

 

随想

2件のコメント

  • 鈴木 章 様は名簿に存在するようです。

  • 冠省
    鈴木章一様、東高一期生では記憶がありませんが?
    私の記憶違いでしたらお許し下さい。

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